厳冬期の阿弥陀岳北稜をソロで登る【登頂編】2018年1月21日

こちらの記事から続きます。

厳冬期の阿弥陀岳北稜をソロで登る【入山編】2018年1月20日
休日と天候が噛み合わず、なかなか泊まりで遠出できませんでした。厳冬期の三千メートル級で登山指数「A」を望んでいたら、いつまでも登山に出かけられません。だいたい「D」か「E」で推移し、たまに「C」が出現します。

朝食と身支度


朝食はどん兵衛です。

それから行動用の飲み物を作りました。

  • 普通のボトルにホットレモンを0.5リットル
  • テルモスにお湯を0.5リットル

ホットレモンはジャケットの胸ポケットに入れ、行動中に立ったままちびちび飲みました。

それとは別に湯沸かしセットを持ちました。

ツェルト代わりに「Survival Shelter 2」を携行しました。

ピッケルは念のため2本。ロープ8mm×30m、軽量ハーネス、シュリンゲ、カラビナなど若干の登攀用具。クラッカー、カロリーメイトなどの食糧。その他もろもろの小物類。

テント場→ジャンクションピーク


阿弥陀岳北稜(黒い壁の左沿い)を遠望できます。


中岳沢より阿弥陀岳。第一岩稜を登っている5人の人影が見えます。


中岳沢のトレースから右上の樹林帯に登っていくトレースをたどります。


徐々に近づいてきました。


ジャンクションピーク(右側の盛り上がった雪稜)が間近になりました。


ジャンクションピーク付近から北稜の核心部がよく見えます。第一岩稜は雪に埋もれた急な斜面になっており、岩を登るというよりは、灌木にすがって登ります。4~5人の人影が見えます。第二岩稜の下部(一段目)に2~3人、上部(二段目)に1人の人影が見えます。

「一段目の岩」と「二段目の岩」は「第一岩」と「第二岩」と呼ばれているようです。なんだか紛らわしいので、この記事では「一段目の岩」「二段目の岩」と呼ぶことにしました。

ご参考までに「日本登山体系 八ヶ岳・奥秩父・中央アルプス」(p.72)にはこう書かれています。

ジャンクション・ピークは針葉樹林帯を抜け出たところで見晴らしが良い。ここからしばらくはハイマツとダケカンバの入り混じったゆるやかな尾根だが、やがて急になって岩稜(第一岩稜)になる。岩稜といってもブッシュがついているので木につかまって登ってゆけばいつのまにか抜けてしまう。岩稜の上は短い雪稜になっているが、すぐ第二の岩稜が右手に続く。ここが北稜のポイントとなる。この岩稜は末端が岩峰状に突き上がっている。

第二岩稜


第二岩稜の基部に到着しました。5人?パーティーの方達が左手のルンゼ状を巻いています。

第二岩稜の一段目は、正面はⅤ級くらいありそうです。左寄りのⅢ級くらいのクラック状から取り付きます。ちょうど3人パーティー(男性-女性-男性)のトップの方が一段登ったところでピッチを区切って、後続者のビレイをしようとしているところでした。それを2人パーティの方達(男女)が待っています。私はその列のうしろに並びました。


3人パーティーの方達が登るのを小一時間待ちました。第二岩稜は通常2ピッチで登るようですが、この一段目のテラスで区切ると、3ピッチになります。


2人パーティーの方達は男性がトップで登りました。上で確保支点を作っているあいだに女性と言葉を交わしました。以前に経験者に連れてきてもらったことがあり、今回は自分たちだけで登りにきたそうです。「ここは休日には一時間待ちが当たり前」とのことでした。

女性がフォローで一段目を登ったあと、私は待ちきれずにすぐ登り始めました。

阿弥陀岳北稜で岩登りと言えるのは、この数メートルだけです。数歩上がったところに中間支点としてペツルのボルトが打たれています。ジャグホールドが豊富なので腕力でえいやっと身体を持ち上げることができます。

テラスの下に1メートルくらいの高さのバンド(段差)があります。外傾した岩に薄雪がのっており、正面から乗り越そうとすると難しい。ここは右へ数メートル、トラバースしてから乗り越せばやさしくなります。が、2人パーティーの方達が登りきるまで、テラスに上がることはできません。不安定な体勢のまま小一時間待つことになりました。

そこから上は傾斜が緩いように見えます。女性がトップで登っていきました。ロープは順調に伸びたのですが、ある時点からピタリと止まってしまいました。20分、30分……。

もしかすると、前のパーティーがまだビレイ用の支点を使っているのかもしれません。

さいわい風がほとんどないので気長に待つことにします。が、さすがに歯の根が合わなくなってきました。身体がガチガチにこわばると、このあと難所でうまく動けないかもしれません。

やっと女性からコールがかかりました。男性が登っていきました。私はすぐ後に続きました。踏み跡に導かれて、草付きの急斜面をたどります。阿弥陀岳北稜の核心は岩ではなく、ぐずぐずの雪におおわれた草付きだと思いました。岩をたどる、もっと確実なラインがあったのでしょうか。

二段目の岩は先に行かせてもらいました。こちらは一段目よりやさしい。が、やはり上の草付きが悪かった。

ナイフリッジの写真を撮り忘れました。


あとは頂上まで、なだらかな雪稜をたどるだけです。

阿弥陀岳山頂


阿弥陀岳山頂にて、横岳方面をバックに記念撮影しました。

結局、ハーネスを装着せず、もちろんロープを出すこともなく、アイゼンとピッケルだけで登ってきました。手袋は安定の防寒テムレス。岩場では確実性を増すために素手になりました。

10分くらい滞在して、すぐに中岳のコルへ下山を開始しました。


下山途中から阿弥陀岳を振り返りました。


硫黄岳、横岳方面。


赤岳。文三郎道に登山者が点々と見えます。


ツルネ、権現岳、編笠山方面。遠く富士山。

中岳のコルまでの下りがまた悪かった。後ろ向きでピッケルのシャフトを深く雪に刺しながら慎重に下りました。私のあとから下りてきたパーティーの方達はロープを出していました。

この写真の左隅、踏み跡が降りているあたりから急斜面が始まります。視界が悪いときはこの岩を目印にするとよいでしょう。

昔、厳冬期(2月初旬)に北横岳~編笠山を縦走したとき、赤岳直下にキスリングをデポして阿弥陀岳を往復しました。ここで苦労した記憶がありません。おそらく現在より降雪量が多い時代で、よく締まった雪に足を潜らせながら登下降できたのでしょう。

中岳沢

中岳のコルで身支度をしていた男性と言葉を交わしました。阿弥陀岳を登ろうとしたけれど、ゆるゆるの斜面が怖くなって引き返してきたそうです。

私は当初、文三郎道まで回って下山する計画でしたが、1時間半近い順番待ちで疲弊したので、中岳沢を下ることにしました。

ここでは1982年3月に雪崩事故が発生し、12人が亡くなりました。

私が「大丈夫かな……」とつぶやくと、男性が「ここを登ってきましたが、雪は締まっていましたよ」とおっしゃいます。その言葉に勇気をもらって、中岳沢を下りましたが、少々軽率だったかもしれません。たしかに上部は雪が締まっていましたが、中間部では雪質が変わり、弱層が浮いている感じがしました。


阿弥陀岳北稜のジャンクションピークに向かってトラバースしているトレースがありました。さっき北稜を登ったときには、中岳沢にエスケープしたトレースかと思いました。逆に、樹林帯のラッセルを嫌って、ここから北稜に取り付いたトレースかもしれません。足跡の向きは確認しませんでした。


第二岩稜の一段目の岩に登山者(2人?)が見えます。もっと上部の山頂直下らしい付近にも人影が見えます。

テント撤収→八ヶ岳山荘


テントに戻ると、スティックコーヒーで一服しました。至福の時間です。

さぁ、テント撤収です。が、ポールの継ぎ目が凍っており、畳むことができません。テントを設営した場所は日陰で、昼日中でもマイナス15℃くらいでした。ポールを日なたの雪面に数分放置したら、畳むことができました。


気になっていたブラックダイヤモンドのテント村。


行者小屋と大同心を写真におさめて、下山を開始しました。


ピッケルのシャフトのゴムがえぐれていることに気づきました。おそらく阿弥陀岳の下りでシャフトを雪に刺しまくったとき、岩に接触したのでしょう。あぁ、お宝が……。


八ヶ岳山荘に戻ってきました。


バスの待ち時間に八ヶ岳山荘内をパチリ。


なんと防寒テムレスが置いてあります。ぜひ3Lサイズも置いてください。

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