
簡易オーバーシューズの「郷愁」と「実利」——日本の雪山における、とある足元の哲学
「足元の冷えは、心の冷えに通ず」——古の岳人がそう言ったかどうかは定かではありませんが、雪山においてこれほど真実に近い言葉もないでしょう。
最新鋭の冬靴がショーウィンドウで威圧的な値段を掲げているのを横目に、我々のような市井の山屋が手に取るべき一品があります。
「簡易オーバーシューズ」
このなんとも質素で、しかし侮れない実力を持つギアについて、少しばかり昔語りを交えながら書き記してみます。
華麗なるハイテクの影で

日本の雪山は、世界でも稀に見る「湿気」の帝国です。北アルプスの稜線で吹かれる風は鋭利な刃物のようですが、ひとたび樹林帯へ降りれば、そこは重く湿った雪の泥沼です。
ゴアテックスだ、プリマロフトだと騒ぎ立てたところで、濡れそぼった靴は遅かれ早かれ氷の塊へと変貌します。「備えあれば憂いなし」と言いますが、現代の装備における「備え」は、あまりに財布に厳しすぎるきらいがあります。
そこで登場するのが、このペラペラのナイロン製オーバーシューズです。
アライテントがひっそりと作り続けているこの製品。見た目はどう見ても「ただの袋」です。
が、侮るなかれ。「単純さは究極の洗練である」とレオナルド・ダ・ヴィンチが言ったとおり、このオーバーシューズこそ、その言葉を地で行く存在なのです。
日本の雪山における「特異点」

日本の雪山登山において、オーバーシューズは独特の立ち位置にあります。それは「夏靴と冬靴の架け橋」であり、「貧者の最終兵器」だと言えます。
本格的な冬靴を買う踏ん切りがつかない、あるいは年に数回しか雪山に行かない登山者にとって、無雪期用の登山靴にこれを被せるだけで、そこそこの保温性と防雪性を手に入れられます。
特に日本の湿雪において、靴本体を濡らさないという機能は、断熱材の厚み以上に重要かもしれません。

「見た目が悪い? 凍傷になるよりはマシだ」
これこそが、オーバーシューズ愛好家の共通言語です。足元がモッサリと膨れ上がり、スタイリッシュさとは無縁の姿になりますが、山では生存こそが最大のファッションなのですから。
愛すべき「不便」と「多機能」

このギアを使うには、少々のコツと寛容さが必要です。 アイゼンを装着する際、ダブついた生地を巻き込まないように丁寧にたくし込む作業は、まるで着崩れた着物を直すような慎ましさが求められます。
現代風のワンタッチアイゼンとの相性は必ずしも良くないかもしれませんが、そこを工夫で乗り越えるのもまた一興。「弘法筆を選ばず、山屋は道具を選り好みせず」とまで言うと、いささか苦し紛れか。

そして、この布切れの真価は「歩いていない時」にこそ発揮されます。
テントに入れば、濡れた靴をこのカバーに入れたままシュラフの中に放り込むことができます。翌朝、ガチガチに凍った靴に悲鳴を上げる必要はありません。
さらには……。
- テント設営で雪を詰めてアンカーにできる。
- ダウンシューズの上から履いて気軽に用足しに出られる。
- 登山靴が突然破壊したとき応急処置に利用できる。
- 下山後に、泥だらけのスパッツや手袋を放り込むスタッフバッグになる。
まさに融通無碍の極致です。

まとめ:絶滅危惧種への鎮魂歌(レクイエム)——あるいは「買えるうちに買え」

「いつまでもあると思うな親と金、そして『昭和の遺物』」
この愛すべきナイロンの袋は、細々と、しかし確実にその生息域を狭めています。かつて山男の頭部を席巻した「ツバ付き目出し帽」がいつの間にか博物館級のレアアイテムとなったように、このオーバーシューズもまた、音もなく歴史の闇に消えゆく定めにあります。
「構造が単純なら、自作(DIY)すればいい」——確かに、器用な貴兄ならそう考えるでしょう。しかし、ミシンと格闘する夜の時間を買うと思えば、店頭価格など安いものです。
もし山道具屋の片隅で、誰にも見向きされずに佇む彼らを見かけたら、それは一期一会。迷わず保護(購入)してあげてください。後悔とは、買わずに売り切れた道具にのみ宿る、悲しき亡霊なのですから。
本格的なオーバーシューズについては別記事としました。


コメント
装備の参考にさせていただきました。
アライテントのブーツカバーですね。
nさん、コメントありがとうございます。
アライテントのサイトに掲載されていますね。
記事を訂正させていただきます。
Forty belowというオーバーブーツがあります。ウエットスーツ生地で伸縮性があり、登山靴にぴったりフィットします。個人輸入ですので購入するのが手間ですが・・・。登山靴のメーカー、靴の種類、ソールの長さからぴったりのサイズを選んで送ってくれます。少々重いですがご参考までに。
40さん、コメントありがとうございます。
Forty belowのサイトを見させていただきました。エベレスト登頂の写真が説得力抜群ですね。記事に反映させていただきます。
とても参考になり、有り難かったです。早速ライペンアライテントのブーツカバーを使ってみました。とても良かったですが、モンベルの6本爪アイゼンを装着したら、靴とアイゼンを固定する小さな爪部分にカバーが当たり、穴が空いてしまいました。機能上問題無いですがこれは仕方無いですよね。
あと、私はラフ&ロードの自転車用ブーツカバーを使用して雪山に入りましたがこれもとても良かったです。
つぐみ さん、コメントありがとうございます。
地面(雪)と直接当たる爪先や踵よりも、アイゼンの金具と当たる箇所のほうが擦り切れやすかったということですね。「ラフ&ロードの自転車用ブーツカバー」を調べてみました。アルパインブーツが入るサイズがあると良さそうです。
こんにちわ。
キリマンジャロのサミットアタックでこれを履いて登れそうでしょうか。
とも さん、コメントありがとうございます。
高所登山で保温力を重視するのであれば、登山靴自体をグレードアップする必要があるかと思います。また、フィット感はアバウトですので、繊細なアイゼンワークが求められる場面ではだぶついた生地に引っ掛ける心配があります。
本文で書きましたように単なるスタッフサックとして使えますので、私は登山靴に重ねる予定がなくても携行し、手袋、オーバーミトン、ゲイター(ロングスパッツ)、耳付き帽子など雪山特有の装備をまとめるのに利用しています。