登山テント遍歴(6)~憧れのダンロップテント

家型テントで登山を始めた者にとって、ダンロップの吊り下げ式テントは憧れでした。

上の写真は大学ワンゲル時代。横尾をベースに横尾~槍沢~槍ヶ岳~大キレット~北穂高岳~涸沢岳~涸沢~横尾という周回コースを歩いて帰着すると、交流のあった女子短大ワンゲルとばったり出会いました。長い行程を話してきかせると彼女らは驚き感心してくれました。得意げな顔でおさまったモテモテ?記念写真。なにげなく撮った背景にオレンジ色の本体と青いフライシートのお馴染みのテントが並んでいます。

こちらは燕山荘のキャンプ指定地。家型テントと共存する歴史的ショット。

関係ないけど、いましも到着したキスリング部隊。女子もこんな感じでネアンデルタールしてました。

春の谷川岳、熊穴沢避難小屋近くにて。大学ワンゲルの先輩がダンロップの3~4人用テントを所有していました。このテントにはずいぶんお世話になりました。

春の白馬岳、栂池ヒュッテ前にて。このときは単独アタックとなり、風雪のビバークとなりました。

ぐうたら登山隊と風雪のビヴァーク
すっかり暗くなりました。これ以上動き回るのは危険です。吹きさらしの稜線で、ケルンに腰掛けて、ツェルトをかぶりました。「風雪にとじこめられても、二泊はもつだろう。でも、三泊目はないかな」なんて考えました。

丹沢のとある河原にて。のんびりオートキャンプでは、モンベルのタープと、荷物置き用のダンロップ1~2人用をもちこむのが常でした。

焚火のかたわらで炭火を起こして焼肉大会です。真ん中に映っているイワタニプリムスのランタンは灰皿として虐待された過去をもっています。

ワンダーフォーゲル部にランタンがやってきた
学生時代のワンダーフォーゲル部では、ランタンを使った記憶がありません。先進派の先輩が現役引退後、個人山行でイワタニプリムスの2245ランタンを持ってきたときには一同どよめきました。谷崎潤一郎的な陰翳礼讃の世界に西洋文明がもたらされた瞬間です。

巻機山山麓のキャンプ場にて。こんな爽やかなロケーションで設営したかと思えば……。

木曽駒ケ岳、三千メートル級の稜線で快適キャンプ。

椅子まで持ち込んで、焼肉しました。

小川山の廻り目平キャンプ場にて。クライミングのメッカなのに、焚火キャンプのためだけに足繁く訪れました。

初めてロープを持ち込みました。「きたない大岩」にぶら下がって喜ぶの図。

相変わらず、ダンロップテント×2+モンベルタープの3点セットです。テーブルセットまで持ち込んで、チャーハン作ったり、焼肉したり。ポリタンクや角型コッヘルが山屋気質を引きずっています。

湯河原幕岩の正面壁前にて。テント泊が黙認されていた頃です。その後、現在の管理棟前が整備されて、しばらくは心地よい芝生の広場でテント泊が可能でしたが、マナーの悪い利用者のせいで禁止されてしまいました。

登山用品

コメント

  1. 通りすがり より:

    キスリングで大キレットね。バランス悪そうで危なくなかったのかな?
    ニッカボッカは膝が曲げやすそう。今だと建設工事現場で見かけるか?
    トレッキングポールを使う人がいなかった。
    靴は皮製のみ。
    トレイルランニングみたいなスポーツ感覚ではなかった。
    タイムを競う?標準コースタイムにさらに余裕を持たせた登山計画を立てましょうだったのでは?
    テントの生地が厚い。今みたいに透けて見えない。
    丈夫だが重い。
    講習会のようなものはほとんどなかった。
    よって山岳会(社会人)か山岳部(大学)に入る。
    そんな感じでしょうか。