「西表島ジャングル横断」と言うと、生い茂るヤブをナタで切り開き、沼に腰まで浸かりながら進軍するイメージがありますが、実際にはトレッキングコースが整備されています。
1980年代、博多発の「えめらるどおきなわ」に一昼夜揺られて那覇港に着きました。
那覇港に着いて、道行く女子中高生を見ると、浅黒く、すらりとした美人が多い。「おぉっ、みんな早見優じゃないか」と喜びました。
奥武山公園にベースキャンプを設営しました。もちろんキャンプ指定地ではありませんが、古き良き時代のこととて黙認されていました。
安物のドーム型テントにはいちおうポール中間部に張り綱をとるループなど見えますが、公園の芝生の上でそんなもの利用するわけありません。フライシートをかぶせた記憶もありません。
レンタサイクルで市内の観光名所をめぐりました。守礼門の前できれいなお姉さんと写真撮影。これからジャングル横断するようには見えません。
次の日はレンタカーを動員して、沖縄本島一周の旅へ。車のデザインが時代を物語っていますね。
ムーンビーチできゃっきゃと遊ぶ三人。いつになったらジャングル横断が始まるんだ。
西海岸を北上する道すがら、海中展望塔で魚を眺めたり、座喜味城跡の石垣に登ったり、米兵に缶ビールをめぐまれたりしました。最北部の辺戸岬で公民館に泊まらせてもらい、地元の青年と酒宴を囲みました。翌日は東海岸を南下し、玉泉洞で山積みになったシャレコウベ💀に瞠目し、ハブとマングースの死闘を見守り、ひめゆりの塔でしんみりし、奥武山公園に戻ってきました。途中、路傍のパイナップル畑からなにやら1個失敬しましたが、固くて酸っぱかったです。
ひと仕事終えた気分で、奥武山球場に侵入して羽を伸ばす男たち。
おいおいジャングル横断はまだか、と言われそうなので、石垣島経由、西表島へと一気に移動して、マングローブの生い茂る河をさかのぼり、トレッキングコースにやって来ました。
カンピレーの滝の近くに安物テントを設営。夜中、本土では聞いたことのないような虫だか動物だかの鳴く声がして、仲間たちは怯えていました。
翌日いよいよ核心のトレッキング……もとい、ジャングル横断の開始。手前に写っているデカいゼンマイが熱帯ムードを醸し出しています。
すごく生い茂っているように見えますが、足元のトレースは明瞭で、迷うところはありませんでした。ただ蒸し暑くてダレましたね。
南部の大原海岸に抜けて、砂浜にテントを設営しました。
これで今回の合宿のノルマを達成。あとは南国リゾートです。
竹富島に渡り、コンドイ岬の海岸にテントを設営しました。徒歩で簡単に一周できる小さな島です。
砂浜で知り合った人たちと人間ピラミッドを組むの図。
当然こうなります。
夜、民宿組の宴に乱入して、ご主人が奏でる蛇味線と民謡に聞き惚れました。
竹富島と言えば「星の砂」が有名です。
沖縄を満喫した最後の朝、船を待つ間に「星の砂」を探しました。そのへんの砂を手にすくうと、必ず何粒か含まれています。根気強くより分ける。やっとより分けた瞬間、微風にさらわれて手のひらからこぼれ落ちる。大の男が砂浜にすわって黙々と作業しました。20~30粒を持ち帰りましたが、いつしか失くしてしまいました。
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