昔話

四方山話

登山におけるウルトラライトvsミニマリズム

「ミニマリズム」は「ウルトラライト」とは似て非なる言葉です。そこには「trade-off」(軽量コンパクトさと引き換えに、耐久性や利便性を犠牲にする)というよりは、「Less is more」(より少ないことは、より豊かなことである)の思想があります。
登山用品

ワンゲル野郎の雪山装備1980年代

「山と渓谷」など山岳雑誌で、よく全装備をひろげた写真が掲載されます。1980年代、冬山に本格的に取り組もうとしていた頃に真似してみました。我ながら微笑ましい。今となっては貴重な写真です。
四方山話

さらば甲斐駒の鉄人

「鉄人」というのはその方を私が勝手にそう呼んでいるだけです。 七丈小屋のテント場で、甲斐駒ヶ岳の山頂で、ほぼ同じ場所と時間を共有しながら、なんとなく気になる方でした。私と同様に単独行で、痩せぎすの長身で、その眼差しの奥には何か深い想いを秘め...
活動記録

残雪の白馬岳で僕の心はもう街に向かっていた

私は湿った寝袋の中でぐったりとしていた。「下山しよう。そして列車の中でゆったりと眠るのだ」明け方、最後のコーヒーのためにお湯を沸かしているとき、とうとう火が消えた。私の心はもう街に向かっていた。こうして決断を引き延ばしているのは、一抹の不甲斐なさを感じているからだ。
登山用品

ウィンパー型テントは暴風に耐えた

時は1980年代のゴールデンウィーク。場所は九州の岳人が愛する久住山系の坊ガツル。夜半の猛烈な風で周囲のテントがバタバタと潰されて、大勢が避難小屋に逃げ込みました。翌朝、坊ガツルに立っていたのはこのテントだけ。Last Standing tent。
活動記録

ぐうたら登山隊と風雪のビヴァーク

すっかり暗くなりました。これ以上動き回るのは危険です。吹きさらしの稜線で、ケルンに腰掛けて、ツェルトをかぶりました。「風雪にとじこめられても、二泊はもつだろう。でも、三泊目はないかな」なんて考えました。
四方山話

噴火した霧島山の硫黄山で撮った写真

新燃岳につづいて。1980年代に霧島山を縦走したときの写真があったな。ゴソゴソ探すと、こんな写真が見つかりました。太腿の筋肉がいい感じに盛り上がっています。あの頃は馬力があったな~。(遠い目)
Tips

1980年代、僕らは靴紐の予備をこうして携行した【チェーンノット】

誰に教わるともなく、靴紐の予備をニッカボッカーズの腰にアクセサリーのように飾り付けてぶらさげました。ワンダーフォーゲル部の全員が全員ではなく、オシャレ感度が高い(笑)一部の部員がそうしていました。
四方山話

昔、槍・穂高にはこんなキャンプ指定地があった

私が現在所持している山と高原地図「槍ヶ岳・穂高岳」は上記の1976年版、1987年版、2004年版、2017年版の4冊です。テント泊縦走派にとって気になるキャンプ指定地の変遷が興味深いです。
四方山話

長い空白期間を経て雪山に復帰する

東京在住の古い登山愛好家です。IT関連の仕事をしています。 三千メートル級の雪山に復帰したのをキッカケにブログを開設しました。 二十世紀の頃、よく雪山に登りました。主なフィールドは北アルプス、南アルプス、八ヶ岳、谷川岳。スタイルはテント泊稜...