雪山技術を南極に学ぶ、「南極大陸単独横断行/大場満郎」

日本の雪山縦走とはかけ離れた極地の冒険なので、そのまま使える技術はほとんどないのですが、トレーニング、資金調達、冒険の心構えなど、とても心を動かされました。

単行本(中古)をAmazonで購入しました。読んだのは2017年6月頃です。

私が購入したとき、なんと価格は5円でした。送料257円のほうが高い。届いた本は新刊書店に並んでいてもおかしくないような美品でした。

以下、引用と感想です。

北極横断行のときも足腰を鍛えるために、早朝、九〇キロの荷物を背負って新宿御苑周辺を歩き回ってトレーニングしていた。(p.37)

90キロなんて背負って立ち上がるだけで常人には精一杯です。いや、立ち上がることさえできないかもしれません。

私は身長一メートル六二センチ、体重六四キロで日本人の中でも小柄な部類に属する。(p.44)

かなりガッチリした体型をされています。

毎朝のトレーニングに三時間をかけた。夜は十〇時に就寝する。規則正しい生活が肝心だ。あとは食事で健康管理をしていく。腸をきれいにするために玄米にゴマをかけて食べたり、クルミをおやつにしたりした。脂肪分を補給するのは極地で耐えられるだけの脂肪を、適度にまとうためである。(p.46)

プロレスラーがパンチやキックや投げの衝撃をやわらげるために、ある程度脂肪をつけるという話を思い出しました。

私が一人で引くことになるソリは全体で一五〇キログラムになる。内訳は食糧がおおよそ七〇キログラム、シュラフ(寝袋)や鍋などキャンピング用具が四〇キログラム、燃料が一五キログラム、ソリ自体が七キログラム程度である。(p.52)

各重量を足すと、132キログラム。残りはパラセールなど行動用具や通信機器でしょうか。

冒険のスタートでまず大切なことは、最初はゆっくり進むことだ。ついつい「元気なうちに少しでも距離を稼ぎたい」とガムシャラに進もうとすると、装備を壊したり、備品をなくすなど自分で失敗を呼び込んでしまう。気持ちを大きくするのではなく、反対に、小さく、小さくしなければならない。とくに極地のような気候の厳しいところでは、まずゆっくりとしたペースで気温や環境に身体をなじませるところからはじめなくてはならない。(p.60)

一般の登山でも歩き始めは、ゆっくり過ぎるくらいゆっくり歩け、と言われます。IT業界ではロケットスタートを推奨されますが、それとは対極の世界です。

あれは初めて北極横断にチャレンジしたときだった。マイナス五〇度になると自分の息が凍ることを初めて体験した。夜、テントでシュラフにくるまって寝ていると、シュラフの上に何かが落ちてくるのである。最初はテント内に氷がついていて、それが温められて水滴になって落下しているのだと思った。ところがそれが、自分の吐く息が凍ったものだったのだ。ハアーと息を吐くと目の前で「パリン」と氷になって、サラサラとシュラフの上に落ちてくる。あのときは本当に驚いた。(p.62)

小便をすると地面から凍ってくる、漫画のような世界が現実にあるようです。

食糧について豪快な記述が続きます。

南極横断するにあたり、私は一日の必要なカロリーは七六〇〇キロカロリーと設定した。日常の日本人の三倍以上にもなる。極寒地では、呼吸するだけでエネルギーが逃げていく。寒いところで呼吸すると、肺でいったん空気を暖めてから体内に酸素を送り出すからである。(p.69)
北極に行ったときは、棒状のバターを一日一本ずつ丸かじりしていたし、砂糖も握りコブシ大のものをいっぺんに食べていた。(p.69)
私が主食にしたのは「ペミカン」と呼ばれる携行食品である。(中略)ペミカンは朝と夜にテント内で食べる。でも調理すると水蒸気がテント内にこもってしまうので、せいぜい沸かしたお湯を入れてふやかせて、ときどき塩やバターを加える程度である。(p.70)
昼は移動しながらの食事かテントを設営しないで雪原に立ったままの食事になるので、もっと軽いものになる。七〇キログラム分のチョコレートをドロドロに溶かし、ここに松の実、油、ゴマを入れて固めた。それを一本三五〇グラムぐらいずつに切り分け、一食分ずつサランラップにくるむ。(中略)朝、テントを片づけて出発するとき、この一本を胸ポケットにさして行くわけである。ベビーサラミ、ビーフジャーキーも昼食用だ。(p.71)
この他に市販されている乾燥モチも二袋分持って行った。ところが、このモチは失敗だった。分厚すぎて、お湯で簡単に柔らかくなってくれないのである。困って鍋でお湯を沸かすときに一緒に入れて煮たら、今度は焦げついて鍋に張り付いてしまった。(p.71~72)

あまりの寒さにこんなことも。スキーやスケートの原理は働かなくなります。

ソリが重い。(中略)南極では気温が低すぎるため、雪は摩擦熱でもなかなか溶けずに、砂粒のようになってまとわりつくのだ。砂浜でタイヤ引きをしているようなものである。(p.77)

通信機器についての記述も興味深いです。

クレバス帯を通過することになり、私はアルゴス発信機(電波を利用した追跡システム)のスイッチをオンにした。アルゴス発信機は電源を入れておくと、九〇秒に一度、通信衛星に向かって電波を発射する。それで私がいま、南極のどの緯度、経度にいるかを正確に把握できる。電波は衛星からフランスの通信会社の情報センターに転送されてデータ化される。その情報を蓮見さんがカナダからインターネットで引き出し、私にイリジウムの携帯電話で、「いま西に二度ずれているよ」と、教えてくれるのだ。GPSを使って、常に緯度、経度は出しているが、アルゴスだと私の居場所をリアルタイムに正確にサポートスタッフに把握してもらえるのだ。(p.81)

アルゴスシステムは野生動物に装着して、行動を追跡する目的などに使われています。イリジウム(衛星電話)は1999年当時、脚光を浴びていました。現在でも形態を変えて存続していますが、日本での利用はエリアが限られ、機器・通信費ともに高額です。

テントはマジックマウンテンの市販品を使用されたようです。

【11月13日】テントは三重張りのものを一枚一枚のテント生地との空間をあけて張るので、中は暖房をしなくても暖かい。(p.89)

三重張りとは、テント本体と外張り(フライシート?)、内張りのことでしょうか。“暖かい”と書いた一方で、寒さについての描写があります。

【11月15日】テントの中でも気温はマイナス一八度だ。寝ているときにシュラフで身体を横にしてペットボトルに小便をする。し終えるとペットボトルをそのまま寝袋に入れて寝る。テントの中でも凍ってしまって、ストーブで暖めないと捨てられないのだ。(p.94)

はたまたこんな記述も。

【11月18日】テントの中は暖房をしなくても十分暖かい。シュラフの上で八度もある。肌着一枚で過ごして十分だ。(p.100)

テント内の温度は風の有無で極端にちがうようです。

寒冷地のパーカーの生地はゴアテックスなどが多いが、私のパーカーは東レが開発した新素材の「ダーミーザクス」という生地でできている。その最大の特長は、「時速四〇キロで転んでも破れない」ということである。(中略)さらに裏地にも大きなポケットを一つ。ここにペットボトルに入れた水を収納する。肌に近いところだから、重い水筒を入れなくても水を凍らせてしまうことはない。(p.107~108)

日本の雪山でも行動中にザックの背中あたりに雪袋を付ければ、背中の過熱を防ぎ、雪が溶けて水を得ることができる、というアイデアがありましたね。

テントは「マジック・マウンテンのアルパインライト」という一般に市販されている二人用の小さなもの。長さ二・一メートル、幅が一・一メートル、高さが一・五メートルある。これをオーバーフライで囲み、さらにすそを雪が舞い込んでこないようにスカートでふさいで、重しに雪を乗せて安定させた。(p.110)

高さは誤植でしょうか。たぶん「一・〇五メートル」です。もっとゆったりしたテントを使われているのかと思ったら、幅が一・一メートルというのはずいぶん切り詰めたサイズです。寝そべったら、ほかにモノを置くスペースはほとんどなさそうです。

テント内では床に銀マットと普通のマットを二段重ねにして、その上にシュラフを置く。天井には靴下、帽子などを乾かすためのネットを張る。(p.111)

やはり長期の行動では、故障の心配がないクローズドセル系のマットを選択されています。

テントの中では最初に、外の雪を持ってきて、ストーブに置いた鍋でお湯を沸かす。この鍋は、かなり工夫がしてある。(中略)工夫のポイントは、なべ底に木の年輪のような円形の溝が掘ってあり、鍋自身も風防のような覆いが取り付けてある。そこに火で暖められた空気が走ることで普通の鍋より熱伝導効率が七〇パーセントもアップしたという。(p.113~114)

ジェットボイル(と言うよりプリムスのイータパワーか)のような構造です。1999年当時、ジェットボイルはまだ市販されていませんでした。(2001年開発に着手された)

テントを氷に固定するためのペグ(止め金具)を打ち始める。このペグはふつうアウトドアショップで市販されているものなら一〇センチとか一五センチぐらいの長さなのだが、私はカタバ風を予想して、スキーのスティックを長さ七〇センチぐらいに切って先端を尖らせた、特製ペグを用意してきた。(p.123)

これまた現在なら、「イーストン・ゴールド24″ ペグ」のような市販品が使えたのかもしれません。強度はストックのほうが断然高そうですが。

プラスチックの容器にペミカンを入れてお湯を注ぎ、フタをしてシュラフに入れておく(後で食べるため)。このプラスチックの容器はお手製だ。といっても外側にクッキーの梱包などに使われる、プチプチがついた例のビニールを巻いただけだが。登山用品などで金属製の入れ物が市販されているが、あれは重いしかさばる。私にパラセールを教えてくれたノルウェー人のラース・エベッセンに「プラスチックにプチプチを巻いたほうがいいよ」と教えられて、そうしている。(p.125)

欧米にもプチプチってあるんだ。と思ったら、アメリカのエアープロダクツ社が元祖なのですね。「プチプチ」は俗称かと思ったら、日本の会社が登録商標にしています。

靴底に汗の湿気が固まって雪になってへばりついていた。靴が湿らないように今回は靴下のはき方を少々工夫している。まず素足に羊毛の薄い靴下をはく。その上にナイロンの大きな靴下をはき、さらにその上に厚手の羊毛の靴下をはく。三枚重ねだ。薄い靴下は汗で湿るが、ナイロンを通して厚手の靴下は湿らない。でも靴底に雪がつくということは、足から出る熱が靴底で寒暖差を生み結露するのだ。(p.126)

ナイロンの靴下とはどんなものでしょうか。現在なら、ネオプレン製のソックスを利用できそうです。2016年の第11回ピオレドール・アジアを受賞した黒部渓谷ゴールデンピラー隊では全裸で渡渉する際、足だけはネオプレン製のソックスを履いたそうです。

冬山での渡渉はしたことがありませんが、10月の北アルプスで短い渡渉をしたことがあります。北アルプスの槍ヶ岳・北鎌尾根の末端、先天出合で露営し、翌朝裸足で渡渉したときの足裏の筋肉が切れるような冷たさが記憶に残っています。たしかに足だけは何か履いたほうがよい。ちなみに、そのときは末端から槍ヶ岳まで真っすぐ登ることにこだわっていました。ルートファインディングに迷う場所もあり、独標の手前でもう一泊しましたが、翌日にかけて積雪に見舞われました。忘れもしない1989年10月8日から9日にかけて、立山で多くの死者が出た日、北鎌尾根にいました。翌日は薄く雪がのった岩稜帯を慎重に抜けました。

スノーシャワーは、ロシアの極地探検家に教えてもらった。(中略)やり方はいとも簡単だ。極寒のなかを裸になって外に飛び出して行く勇気だけ。気温にもよるが、だいたい一分か一分半ぐらいはいられる。外に出ると「ヒャッホウッ」とか「ホウホウホウッ」とか、大声を出して気合いをこめながら、雪の中を転げ回って、身体のあちこちに雪をこすりつける。で、今度はテントの中にそのまま飛び込むと、身体の雪が一気に蒸発していく。ジュワ~と音を立てそうな勢いで煙を上げて、テントの中が見えなくなるくらいだ。寒さで収縮していた血管が一気に開いて血液が走り回るのが分かる。(中略)スノーシャワーの目的はもちろん身体を清潔に保つためだが、血液の循環を促して、なによりも爽快感がたまらない。そういえばロシアの探検家もキャンプにシャワーがあるのに、毎日のようにやっていた。クセになるらしい。(p.142~143)

何の本だったか、ヒマラヤ登山のベースキャンプで石を焼いて、サウナを作ったという話を読んだことがあります。長期の遠征では入浴できないことがストレスになりそうですが、こうした荒療治で対処できるなんて驚きです。

ご自身も足指など切断されるにいたった凍傷についての記述も興味深いです。

担当してくださったそのお医者さんは、ご自身も山屋さんで、「山の凍傷はこんなものではありませんよ。酸素が少ないのでいきなり瞬間的に血管まで凍りますから」と話していた。だから山での凍傷は手足の切断とか、重症になるのだ。(中略)南極ではその轍は踏むまいと、テントを設営するたびに私は注意深く鼻毛を切り、ヒゲを剃った。凍傷の予防のためだ。吐いた息や汗が鼻毛について凍ってしまい、そこから凍傷にかかることはよくある。食事後も凍傷にかかりやすい。血液が胃に集中するので、手足が冷えるのだ。(p.174~175)

食べると身体が温まると思いがちですが、逆の面があるというのは目からウロコです。

年が明けた1月10日は、大場さんの誕生日です。

私は四六歳になっていたのだった。(中略)改めて自分の年齢を意識してしまう。三〇代のころのような体力・気力が失われて、今は持久力・精神力でカバーしている。でも冒険家にとってそれは悪いことではないと思う。とくに南極のような長丁場の旅では、若すぎると力んでしまってケガを呼ぶ。むしろ恐れる気持ち、感謝の気持ちが大切なのだ。

もっとお若い頃の冒険だと思っていました。感服するほかありません。

私も雪山に復帰してみて、昔のような馬力がないことを痛感しています。登山を続けることで地道に体力の向上をはかる一方で、大場さんのような落ち着いた心持ちで取り組んでいきたいものだと思いました。

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