1989年10月8日、北アルプスの立山で季節外れの吹雪となり、8人の方が亡くなりました。
有名な気象遭難事件です。
その日、北鎌尾根にいました。近くの山域にいただけに、より強烈に記憶に残っています。黒部湖をはさんだこちら側では降雪量は少なく、大事にはいたりませんでした。
その日、私は先輩と2人で北鎌尾根を末端(先天出合)から登っていました。
9時頃、2426mピークでポカリスエットの粉末をポリタンクの水に溶かしていると、先輩が「これは雪じゃないか」と変なことを言います。粉末が雪の結晶に見えたのかと思い、聞き流しました。やがて、それまで小雨かガスかわからない水滴だったのが、綿雪となって西から吹き付けてきました。
驚き慌てて、レインウェアを着込みました。いったんおさまりましたが、いつしか持続的に降り始めました。「紅葉の槍・穂高、転じて風雪の北鎌尾根だ」と軽口を叩いているうちはよかったのですが、悪路で木の根、岩角をつかむ軍手は濡れて、指先が冷えていきます。先行していた2人パーティーの方達は北鎌のコルで早々にテントを設営しました。我々はもうひと頑張りして、「天狗の腰掛け」にテントを設営しました。
テントは先輩が所有していた「ヒリシャンカ」。ペルーの山名をブランド名としたメーカーの製品でした。3本ポールで六角形。本体の天辺がメッシュでスースー寒いのでタオルを乗っけてふさぎました。
雪が降り積もって、すっかり冬山の様相です。ガスの切れ間に独標が浮かんでいました。夜になると雪はやみ、風もやみ、満点の星空となりました。薄いシュラフのなかで眠れない夜を過ごしました。
次の日は快晴。裏銀座や剱・立山方面は冠雪していました。
独標が我々を見下ろしています。
独標を巻き、北鎌平へ稜線をたどります。
当時、槍ヶ岳山頂から北鎌尾根への下り口には「キタカマ」とペイントされていました。
頂上の祠の形は現在と似ています。細部をよく見ると建て替えられているようです。
槍沢を下るころには日が傾いていました。
横尾に着いたのは夜7時頃。ヒリシャンカのなかで私は「極楽極楽」を連発しました。昨夜の極寒からすれば横になっているだけで暖かい。もっとも夜中の冷え込みは厳しく、先輩が「極楽にしては寒いな」と漏らします。
就寝前にラジオを聴いていると、立山で熟年パーティーが疲労凍死した事件が報じられました。
コメント