
登山を続けていると、道具は増えます。
ザック、レインウェア、防寒着、グローブ、ヘッドランプ、クッカー、シュラフ、マット。用途や季節が少し違うだけで、似たような道具がいつの間にか並びます。
もちろん、買ったときにはそれぞれ理由がありました。
いま持っているものより軽かった。
少し暖かそうだった。
評判がよかった。
雪山でも使えそうだった。
セールになっていた。
そして何より、次の山を少し快適にしてくれそうでした。
登山用品は、必要に迫られて買うこともあれば、まだ見ぬ山行に期待して買うこともあります。買った瞬間には、どれも一軍候補です。
ところが、実際に山へ持っていく装備は、しだいに決まってきます。
毎回手に取るザック。
迷った末に、結局選ぶレインウェア。
使い慣れたヘッドランプ。
多少重くても信頼しているクッカー。
選択肢は増えているのに、山へ行く顔ぶれはいつも似ています。
ならば、登山者が目指すべきミニマリズムとは、むやみに道具を減らすことではありません。
実際に山で使うものを一軍として明確にし、それ以外を現役の場所から退かせること。
本記事では、それを「一軍主義」と呼びます。
登山道具は、なぜ増え続けるのか

登山用品は、ひとつの道具が広い用途を担うように見えて、実際には細かく使い分けられています。
日帰り用とテント泊用。
夏山用と雪山用。
低山用と高所用。
軽さを優先する山行と、快適性を優先する山行。
しかも、ひとつの用途に完全な正解はありません。
軽いものは耐久性に不安がある。
丈夫なものは重い。
暖かいものはかさばる。
多機能なものは操作が複雑になる。
どの道具にも長所と短所があり、新製品を見るたびに「これなら今より少しよくなるかもしれない」と考えます。
そして実際、買って試してみなければわからないことも多いです。
店頭で背負っただけでは、長時間歩いたときのザックの癖はわかりません。グローブの操作性も、雨具の蒸れ方も、シュラフの保温力も、山へ持ち出して初めて見えてきます。
ギアが増えること自体は、必ずしも悪ではありません。
道具を試すことは、自分に合う装備を探す過程でもあります。
問題は、試用期間を終えた道具まで、いつまでも現役選手として扱い続けることです。
ミニマリズムは、数を減らす競技ではない

ミニマリズムという言葉には、「持ち物を極限まで減らす」という印象があります。
しかし登山では、少なければ少ないほどよいとは限りません。
季節が変われば必要な装備も変わります。夏山と厳冬期では、同じ登山でも道具立てはまるで違います。故障や紛失に備えて、予備を持つこともあります。
登山者にとって大切なのは、所有数の少なさではありません。
なぜそれを持っているのか、自分で説明できることです。
十個のザックを持っていても、それぞれに明確な用途があり、実際に使い分けているなら整理されています。
反対に、三個しか持っていなくても、毎回どれを使うか迷い、結局いつも同じ一個しか使わないなら、残りの二個は現役とは言いにくいでしょう。
一軍主義は、持ち物の数を競う思想ではありません。
使うものと使わないものの境界を、曖昧にしないための方法です。
一軍とは、実際に山へ持っていく道具である

一軍の条件は、単に高性能であることではありません。
高価である必要もありません。最軽量である必要も、最新モデルである必要もありません。
一軍とは、同じような山行に出かけるとき、自然に手が伸びる道具です。
使い慣れている。
癖を知っている。
弱点も理解している。
どこに収納すれば取り出しやすいか、身体が覚えている。
こうした道具には、カタログの数字だけでは表せない強さがあります。
少し古いヘッドランプでも、暗闇のなかで指先が迷わずスイッチを探り当て、電池の減り方まで把握しているなら、十分に頼りになります。
逆に、最新機能を備えた道具でも、必要な場面で操作に迷うなら、一軍とは呼べません。
山では、道具の新しさより、道具との付き合いの長さがものを言うことがあります。
一軍とは、ただ所有している道具ではありません。
使いこなせる道具です。
ギアマニアだからこそ、一軍を選べる

ギアマニアとミニマリストは、対極に見えます。
一方は道具を増やし、もう一方は減らす。表面だけを見れば正反対です。
しかし、ギアマニアほど一軍主義に向いています。
多くの道具を試してきたからこそ、自分に必要な性能と、なくても困らない性能を見分けられるからです。
軽いザックを試した結果、少し重くても背負い心地のよいものへ戻ることがあります。
高価なレインウェアを買ったのに、気軽に扱える中価格帯の製品ばかり使うこともあります。
高機能なクッカーをそろえた末に、小鍋ひとつで十分だと気づくこともあります。
回り道をしたからこそ、戻ってきた場所に確信が持てます。
自分に合う道具は、比較しなければわかりません。いくつもの候補を試した末に残ったものには、それなりの理由があります。
問題は、選考から外れた道具まで、いつまでも一軍と同じ場所に置いておくことです。
買うことと、残すことは別の判断です。
試してみる自由はあってよい。
ただし、試用期間が終わったら選抜する。
ギアマニアがミニマリストになるために必要なのは、物欲を捨てることではなく、判定を先送りしないことです。
二軍を見分ける五つの質問

道具を整理するとき、「まだ使えるか」で判断すると、ほとんど何も手放せません。
登山用品は丈夫です。少し古くても、たいていはまだ使えます。
しかし、一軍主義で重要なのは、「使えるか」ではなく「使っているか」です。
判断に迷ったら、次の五つを問いかけます。
同じ用途の山行なら、最初にこれを選ぶか
日帰り低山へ行くとき、最初に選ぶザックはどれでしょうか。
毎回候補には入るものの、最後にはほかのザックを選ぶのであれば、その道具はすでに一軍から外れています。
過去一年から二年のあいだに使ったか
季節用品は、一年間使わなくても不思議ではありません。
しかし、二度のシーズンをまたいでも出番がなかったなら、今後も使わない可能性が高いでしょう。
ほかの道具では代替できない理由があるか
似たような道具が複数ある場合、それぞれの役割を説明できるか確認します。
「少し違う」というだけでは、現役に残す理由として弱いかもしれません。
保管と手入れの手間に見合っているか
道具は、置いておくだけでも管理が必要です。
湿気を避け、電池を抜き、刃物には防錆処理を施し、撥水性や接着部分の劣化も確認しなければなりません。
手入れする気になれない道具は、気持ちの上でもすでに二軍です。
失ったら、同じものを買い直すか
もっとも強力なのは、この質問です。
明日これを失ったら、同じものをもう一度買うだろうか。
買い直さないのであれば、心のなかではすでに評価が決まっています。
ときに持ち物は、こちらが答えを出すより先に、静かに役目を終えています。
二軍は捨てるのではなく、現役を引退させる

二軍に分類したからといって、すぐ捨てる必要はありません。
登山用品には思い入れがあります。
初めてテント泊したときのザック。
厳しい山行をともにした手袋。
もう販売されていないウェア。
道具は単なる物品ではなく、経験の器でもあります。
だからこそ、一軍主義は「何でも捨てる思想」ではありません。
重要なのは、一軍と二軍を同じ場所に混ぜないことです。
二軍には、いくつかの行き先があります。
売る。
人に譲る。
防災用品として転用する。
車載用や予備装備に回す。
部品取りにする。
思い出の品として保管する。
いずれの場合も、「現役の登山用品」から別の役割へ移します。
判断できないものは、保留箱に入れてもかまいません。
ただし、「いつか使うかもしれない」を無期限にしないことが大切です。
次の冬まで。
次のテント泊まで。
一年後まで。
期限を決め、その間に使わなければ役割を変えます。
整理とは、道具を粗末に扱うことではありません。
役割を終えた道具を、いつまでも出場名簿に残さないことです。
一軍は、半畳のスペースに集結させる

登山に出かける直前と、登山から帰った直後。
その時点でひとまとめになっているザックと装備こそ、もっとも純度の高い一軍です。
似たタイプの山行が続くのであれば、毎回すべてを解体する必要はありません。
ザックの中身を基本形として残し、気温や標高、天候に応じて、ウェアや小物を少しずつ入れ替えていけばよいのです。
秋が深まれば、薄手の手袋を厚手に替える。
残雪期になれば、アイゼンやゲイターを加える。
暑くなれば、防寒着を一枚減らす。
装備は、季節の移ろいに合わせて、少しずつ衣替えしていきます。
毎回ゼロから準備するより早く、忘れ物も減らせます。
とはいえ、山行後のザックを玄関や部屋の隅に置きっぱなしにすると、たちまち日常生活の邪魔になります。
濡れた装備を詰めたままにするのは論外です。シュラフやダウンウェアも、ロフトを潰さないよう、ゆったり保管しなければなりません。
そこで、一軍装備を大雑把に集めておく専用スペースを確保します。
目安は半畳ほどです。
たとえば押し入れの上段に、九十センチ四方程度の面積を空けます。そこに、次の山行で使う可能性が高い装備をまとめます。
ザック。
レインウェア。
防寒着。
調理器具。
ヘッドランプ。
スタッフバッグ。
行動食を入れる袋。
補修用品。
几帳面に棚へ並べる必要はありません。
大切なのは、ほかの日用品と混ぜず、「次の山へ持っていくもの」が、ひとつの領域に収まっていることです。
シュラフは大型の保存袋に入れるか、圧縮せずに広げて置きます。濡れたウェア、テント、ツェルト、ロープ類は、完全に乾かしてから戻します。
押し入れや収納庫は湿気がこもりやすいため、換気と除湿にも注意します。
ときどき扉を開ける。
すのこを敷く。
除湿剤を置く。
道具を壁に密着させすぎない。
収納は、詰め込む技術ではありません。
道具を休ませ、次に働ける状態へ戻す技術です。
積雪期専用の一軍スペースをつくる

一般装備とは別に、積雪期専用の一角も確保しておくと便利です。
ピッケル。
アイゼン。
厚手のグローブ。
ゲイター。
バラクラバ。
ゴーグル。
予備の防寒小物。
これらは無雪期には使いませんが、冬になれば一軍へ復帰します。
季節外だからといって押し入れの奥へ埋め込むと、シーズン初めに家中を捜索することになります。
積雪期専用装備は、通常の一軍スペースの隣か、すぐ近くにまとめておきます。
金属製品は湿気を避け、アイゼンやピッケルは水分や泥を落としてから保管します。グローブやバラクラバも、完全に乾燥させてから戻します。
冬装備はかさばるため、きれいに並べることより、ひとまとまりで所在が明確であることのほうが重要です。
雪の便りを聞いたとき、「冬山装備はあそこにある」と即答できれば、それで十分です。
見せる収納は、空間に余裕がある人がすればよい

登山道具は、見た目にも魅力があります。
ザックを壁に掛け、ピッケルやカラビナを並べ、ウェアをハンガーに吊るせば、山小屋やギアショップのような雰囲気になります。
空間に余裕があるなら、見せる収納もよいでしょう。
道具の状態を確認しやすく、乾燥させやすいという利点もあります。
しかし、見せる収納は一軍主義の条件ではありません。
限られた住空間で、すべての道具を美しく展示しようとすると、かえって生活を圧迫します。
登山用品は、部屋を飾るためではなく、次の山で使うためにあります。
半畳の中に大雑把にまとまり、必要なものがすぐ見つかり、日常生活の邪魔にならない。
それで十分です。
一軍収納の目的は、部屋を格好よく見せることではありません。
次の山行へすぐ出発できる状態を、生活のなかで無理なく保つことです。
一軍主義は、山行準備を速くする

登山前の準備に時間がかかる理由は、荷物が多いからとは限りません。
どれを持っていくか決まっていないから、時間がかかるのです。
似たようなグローブを何組も広げる。
ザックを背負い比べる。
レインウェアを入れたか不安になる。
ヘッドランプの置き場所がわからない。
選択肢が多いほど、準備は慎重になるどころか、散漫になりがちです。
一軍が決まっていれば、準備の出発点が明確になります。
まず、半畳の一軍スペースから基本装備を取り出す。
前回の山行との差分だけを考える。
気温、標高、日数、降水確率に応じて入れ替える。
山行ごとに、装備表を一から組み立て直す必要はありません。
前の山行から次の山行へ、装備を少しずつ手渡していけばよいのです。
一軍主義とは、持ち物を減らす方法であると同時に、判断の回数を減らす方法でもあります。
一軍主義は、安全にもつながる

装備を絞ると、一つひとつを使う頻度が上がります。
使う頻度が上がれば、操作に慣れます。
収納場所も固定されます。故障や劣化にも気づきやすくなります。
山で頼りになるのは、性能表で一番優れている道具とは限りません。
暗闇でも迷わず操作できる。
手袋をしたまま扱える。
不調の兆候を知っている。
限界性能を把握している。
こうした習熟は、使い続けることでしか得られません。
道具をたくさん持っていると、ひとつひとつを使う回数が減ります。久しぶりに持ち出した道具は、操作方法を忘れていたり、気づかないうちに劣化していたりします。
一軍主義は、部屋を片づけるためだけの思想ではありません。
道具と身体の距離を縮める、安全管理の方法でもあります。
趣味としての所有まで否定する必要はない

ここまで一軍主義を薦めてきましたが、登山用品を集める楽しみまで否定する必要はありません。
美しい道具を所有すること。
昔の登山用品を保存すること。
廃番品を集めること。
新製品を試すこと。
これらも立派な趣味です。
ただし、コレクションと実用品は分けて考えたほうがよいでしょう。
思い出の道具は、思い出の品として保管する。
珍しい道具は、収集品として扱う。
実際に山へ持っていくものは、一軍スペースに置く。
すべてを「いつか使うかもしれない実用品」として扱うから、収納が混乱します。
使う道具と、愛でる道具は別です。
役割を分ければ、ギアマニアでありながらミニマリストになることは可能です。
むしろ、道具をたくさん見てきた人ほど、本当に残したいものの輪郭ははっきりしているはずです。
まとめ――減らすのではなく、選び抜く

登山者は、何も持たないことを目指す必要はありません。
山域、季節、難易度に応じた道具は必要です。予備装備も必要です。ギアを試す楽しみも、収集する喜びもあります。
ただし、すべてを一軍として抱え込むと、準備は遅くなり、収納は乱れ、手入れも行き届かなくなります。
一軍主義が目指すのは、持ち物の絶対数を減らすことではありません。
実際に使う道具を明確にすること。
次の山行で使う装備を、半畳ほどの場所に集めること。
季節に合わせて少しずつ入れ替えること。
役割を終えた道具を、現役の場所から退かせること。
そして、どの道具を、なぜ持っているのか説明できることです。
道具を少なく持つ人が、ミニマリストなのではありません。
迷わず選べる人が、ミニマリストなのです。
登山道具を減らすのではなく、選び抜く。
次の山へ連れていくものだけを、手の届く場所に残す。
それが、一軍主義という名のミニマリズムです。
コメント