数杯分のコーヒー豆と手回しミルをザックに詰めて、甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根(日本三大急登のひとつ)を登る。七丈小屋に辿り着き、疲れた身体でテントを設営する。
やがてガリゴリと豆を挽く。ドリップした琥珀の液体は、激烈に美味かった。脳に突き抜けた。我が人生で最高の一杯だった。
世界で一番美味いコーヒーを飲みたかったら、地の果てまで豆を探しに出かける必要はない。凝った器具はいらない。
山に登ればいい。
インスタントコーヒー時代
金属食器
自分が山でコーヒーを飲んでいる最古の写真。大学ワンダーフォーゲル部時代に単独で出かけた祖母山(九州)でのひとコマです。1980年代、ニッカボッカーを履いていました。
貧乏学生にとってコーヒーといえばインスタントでした。当時はテルモスを持たず、山頂で手間をかけてお湯を沸かしました。
カップは我が部で「金属食器」と呼び習わされていた(今はなき)NEW TOPやEVERNEWのアルミ食器です。
現在販売されているアルミ食器で近いのはコレ。
私が使っていたのは皿が1枚少ない5点セットです。ワンダーフォーゲル部に入ると最初に買わされて、少量の炊飯や湯沸かし、茶碗、マグカップまで何でもこなしました。絶妙に中途半端なサイズのおかげで汎用性抜群でした。
ワイヤー製の折りたたみ式の把手が付いていますが、マグカップのように指を挿入して持とうとすると、これがまた絶妙に持ちにくい。フライパンのように鷲掴みするのがいちばん安定します。
雰囲気もへったくれもなく、当時は「山頂でコーヒーを飲む」という行為そのものに酔いしれていました。
我が部では、前の夜に余分に炊いておいた飯にレトルトのハンバーグをのっけ盛りにして詰め、フタをガムテープで留めて運搬し、行動中の昼飯にするという、謎のノウハウが伝承されていました。日本伝統の梅干し弁当を洋風にパワーアップしたレシピです。
この金属食器に馴染みすぎたせいで、下宿に遊びにきた友人にお茶を出すとき、コイツで湯を沸かしたら、呆れられました。
マグカップとポリタンク
写真の場所は高千穂河原のキャンプ場。九州や山陰の山をめぐる旅のひとコマです。
マグカップがグレードアップして、ダブルウォールのプラスチック製になりました。 メーカーはおぼえていませんが、たぶんコレです。
マグカップ以外にいろいろ興味深いモノが写っています。
木の間に渡した細引きに洗濯ものを干しているあたり生活感満載です。履き物は、厳冬期にも通用する登山靴ノルディカ2542、ジョギングシューズ、サンダル……とフル装備でした。
インスタントコーヒーはけっこう大きな瓶をそのまま持ち歩いています。電車やバスを乗り継ぐ旅なのであまり軽量化を考える必要がありませんでした。
こちらは開聞岳の頂上。35mmのフィルムケースにインスタントコーヒーの粉を小分けして持って上がりました。
開聞岳山頂にてコーヒー片手に下界を見下ろすの図。気宇壮大なり。
水はポリタンクで持ち運びました。長時間水を貯めておくと、なんとなく水の味が変わる気がしました。当時、ナルゲンボトルなんてありません。いや、あったのかもしれませんが、視野に入ってきませんでした。
ワンダーフォーゲル部に入部して初めての夏合宿。2週間かけて「南アルプス(ほぼ)全山縦走」を終えました。
ポリタンクに残った「南アルプスの水」を下宿まで持ち帰り、コーヒーを沸かして飲みました。
さぞかしポリタンクの匂いが水に移っていたにちがいありませんが、気持ちは満たされていました。
自販機と純喫茶の時代
「学生街の喫茶店」
大学のキャンパスでは、授業の合間に、部活の前後に、自販機のコーヒーでカフェインを摂取しました。そこかしこのベンチで喉に流し込み、紙コップをゴミ箱に放り投げました。
山へ向かう夜行列車では、乗り換え駅や長時間停車駅のどこに自販機があるかを掌握し、優雅な(?)ブレイクタイムを組み込むのを忘れませんでした。
安いコーヒーとは対照的に、純喫茶に出入りすることをおぼえたのも同じ頃です。著名作家の著名作品に登場するような老舗で、貧乏学生には贅沢な出費を強いられました。
姉のように思慕する先輩と入ったことなど思い出されます。「学生街の喫茶店」の世界です(遠い目)。偶然、後輩連中がやってきて、離れた席でニヤニヤしていたのが忘れられません。
ひとり時間差ウインナーコーヒー
その純喫茶でウインナーコーヒーなる魅惑のメニューを知りました。コーヒーのうえにホイップクリームを乗せる、今風に言えばカプチーノの豪華版です。
純喫茶ではアイスクリームに近いものが乗って出てくることがありました。冷えた甘いクリームに口づけ、その先に熱い琥珀が待っている。なんとも官能的な飲み物ではありませんか。
このウインナーコーヒーをお手軽に再現する方法を編み出しました。
駅の売店で、高速道路のサービスエリアで、コンビニで、小川山帰りのナナーズで、まずはソフトクリームを舐める。クーラーボックスに積まれている安いソフトクリームで良し。激しい運動のあとはソフトクリームそのものが文句なく美味しい。口中が落ち着いたら、熱いコーヒーを流し込む。
これを「ひとり時間差ウインナーコーヒー」と呼んで悦に入りました。
ペーパードリップ時代
下宿の隣人に教わる
ペーパードリップなるコーヒーの淹れ方を教えてくれたのは下宿の隣人、ワンダーフォーゲル部の先輩です。六畳半縁側付きのいちばん良い部屋に居すわり、冬はドテラを羽織って炬燵に足を突っ込みながら、そこそこ高級なステレオコンポで音楽を聴き、プラスチック製のドリッパーでコーヒーを淹れるという粋人でした。
たまにご相伴にあずかりながら、「最初に注いだお湯でしばらく蒸らす」「細い湯を渦巻状に落とす」といった基本的な作法を教わりました。その細い湯は、学生の下宿でよく見かける電気ケトル(ものぐさな奴はこれでラーメンを茹でたりする)から注がれました。
家庭用のコーヒーミルを山に担ぎ上げる
社会人になってからは、ペーパードリップ一辺倒。ドリッパーは陶器製のカリタです。
「もう自分、貧乏学生じゃないもんね」というわけです。家庭用のコーヒーミルといっしょに山に持って上がることもありました。あえて家庭用の重たい器具を運び上げる酔狂を愉しみました。
だんだん身の回りが忙しくなると、コーヒー豆、ペーパードリッパー一体型の小分けされたパックを自宅でも登山でも使うことが多くなりました。
たまに自宅で豆を挽いてドリップするときには、ホルダーとフィルターが一体化した使い捨てのペーパードリッパーを利用するようになりました。
そんな軽佻浮薄に堕した自分に嫌気がさし、一念発起して、甲斐駒ヶ岳山頂までコーヒーミルを運び上げてみました。
冒頭で書いた「世界で一番美味いコーヒー」をこの山行で堪能しました。
家庭用のコーヒーミルを山頂に担ぎ上げる行為は到底、万人に推奨できません。携帯用の軽量なコーヒーミルを利用すべし。この分野では長らくポーレックス一強でしたが、先年ハイマウントから同等品が安価に発売されました。
コンビニコーヒー時代
セブンカフェがサービスを開始した頃から、そこそこ美味いコーヒーを外飲みする行為に不自由しなくなりました。エキナカのNewDaysもたいていコーヒーマシンを置くようになりました。
八ヶ岳登山において要衝の地となる茅野駅でコーヒーマシンを発見したときには快哉を叫んだものです。北アルプスの玄関、松本駅でも。
車窓を流れる風景を眺めながら、これから登る山を想像し、あるいは、登り終えた山を思い返し、熱いコーヒーを喉に流し込むひとときこそ至福の極みです。
テルモス……じゃなくて、サーモスのボトルに詰め替えれば、好きなタイミングで熱いコーヒーを飲むことができます。
缶コーヒーだとすぐ冷めるので、車窓にもちこんで最高の瞬間を味わうのは至難の業でした。
電車がホームに滑り込んできたときを見計らって、自販機で素早く買うという涙ぐましい努力を要求されました。
早めに買って、サーモスに詰め替えたところで元々の温度が知れています。
ボルダリングの行き帰りには、マットにはさんだデイパックのサイドポケットにケータイマグを突っ込み、素早くアクセスする用意を怠りません。
スティックコーヒー時代
長いこと(たぶん二十一世紀になってから)自宅でも登山でも自分でインスタントコーヒーを淹れて飲んだ記憶がありません。 2017年10月に表銀座~槍ヶ岳縦走したときに、久しぶりに持っていきました。「AGF ブレンディ スティックカフェオレ エスプレッソオレ微糖」です。
ブラック派の自分にもこれは美味い。 熱湯をテルモスに入れて持っていき、山頂でお湯をそそぐだけ、というスタイルも初体験でした。これまでは山頂で風に悩まされながらお湯を沸かす現場主義でした。
特に雪山ではペーパードリップタイプは使いづらい。お湯が冷めやすいので、うまく淹れるのが難しい。
無雪期だと、コーヒーを落としたあと、そのへんの地面に放置して、余分な水分が切れるのを待ってからゴミ袋に入れます。が、雪山でそんなことをしたら、凍ってしまい、始末に負えなくなります。
その点、スティックコーヒーなら、さっとお湯を注いで、熱々を飲むことができます。熱の損失が最小限で、安定した味を楽しむことができます。
筆者は現在、インスタントコーヒーを常飲していないため、瓶詰め商品を買う機会がなくなりました。スティックコーヒーをワンポイントリリーフとして重宝しています。
スティックコーヒーのTipsについてはこちらの記事をご参照ください。
まとめ 【山と珈琲と私】
ことほどさように、筆者にとって、山とコーヒーは切っても切れない関係にありました。これからもそうでしょう。
「歌は世につれ世は歌につれ」などと申します。登山愛好家なら「山を思えば人恋し、人を思えば山恋し」のほうが耳に馴染みがあるかもしれません。
その修辞を拝借して、「これからも山を思いながらコーヒーを飲み、コーヒーを飲みながら山を眺めたいものだ」と、つぶやく今日この頃です。
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