我がワンダーフォーゲル部では、表銀座~槍コースを「ゴールデン」と呼んでいました。途中の峰を別コースから登ったことはありますが、つなげたことはありませんでした。
本格的な山登りを再開して初めて、テントをかついだ縦走に出かけました。
登山の醍醐味は山で寝泊まりすること
露営のための道具、テントや寝袋や食糧や火器は自分の背中に担いで運びます。山小屋に宿泊したり、たとえテント泊であっても食事を山小屋に頼んだりすると、醍醐味が半減します。これは冬山のような厳しい条件ではよりいっそう顕著です。暖房が入った山小屋でくつろいで食事し、布団で手足を伸ばして寝たなら、翌日厳しい雪稜を登攀したとしても価値が一段下がるような気がします。
「縦走」ならさらに醍醐味が増す
露営道具一式を担いで移動する「縦走」ならさらに醍醐味が増します。雨の朝、濡れてズッシリと重いテントをザックに詰めるときの憂鬱たるや。一泊したのみで、そのあと街に戻るのであれば「逃げ切り」ですが、その日一日長く辛い行程をこなして、夕方にまた濡れたテントを(強風でバタつくのを押さえながら)設営し、泥にまみれた床で炊事し、湿った寝袋で寝るのかと思うと暗澹たる気分になります。
岳人の常識は社会の非常識
学生時代にはそんなマゾヒスティックな行為を2週間くらい続けるのが普通でした。社会人になったのちも、「せっかく北アルプスに出かけるんだから、2週間とは言わないまでも1週間は縦走したいなぁ」という岳人の常識(社会の非常識?)が植えつけられました。そんな世間知らずの岳人はやがて社会の荒波に揉まれて、山と都会とのはざまでどうバランスをとるか悩み始めます。たとえば著名な登山家や冒険家のように振り切った生活に飛び込む気概はありませんでした。
分岐点となった厳冬期の表銀座
これから登ろうとする表銀座は冬山で縦走らしい縦走をした最後の山でした。時は厳冬期の二月上旬。年末年始のトレースが消えて、いちばん雪深い時期だと思います。宮城のゲートから車道を歩いて、第一ベンチまで。ここの水場は冬でも枯れないのでありがたい。夜ラジオを聴いていると、尾崎豊の「15の夜」が流れてきました。当時、まったく知らない曲だったのですが、心に沁みました。孤独に耐えられず、第一ベンチに2泊しただけで下山しました。
再挑戦したのは2年後。燕岳から大天井岳まで表銀座を縦走し、東鎌尾根を目指して西岳ヒュッテまでたどり着きました。が、悪天候が続くという予報が出たので、槍沢にエスケープ。胸から肩の雪をかき分けて、2日かけて横尾にたどり着きました。以降、テント泊縦走から次第に離れていきました。
2017年9月29日、四半世紀以上ぶりの中房温泉
受付の建物は建て替えられているはずですが、昔ながらの切妻のたたずまいがうれしい。
テント場は、車道の上側に二区画、車道の下側に三区画。昔はこんなに明確に区切られておらず、もっと大雑把で土っぽい傾斜地だったような記憶があります。私は三区画の中段に設営しました。
なんと駐車場の隅に砂風呂のような石組みがあります。昔はなかったはず。これは営業施設なのでしょうか。
蒸気が濛々と。このテント場は地熱が高いです。夏、都会の暑さに嫌気がさしてやってきたのに、蒸し蒸しする一夜を過ごさなくてはならず辟易したものです。
夜のトイレ棟。男子トイレの前あたりにセンサーがあり、自動的に明かりが灯るそうです。
さて、明日から久しぶりの縦走登山の始まりです。
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