登山テント遍歴(4)~北鎌尾根のヒリシャンカ

1989年10月8日、北アルプスの立山で季節外れの吹雪となり、8人の方が亡くなりました。

有名な気象遭難事件です。

その日、北鎌尾根にいました。近くの山域にいただけに、より強烈に記憶に残っています。黒部湖をはさんだこちら側では降雪量は少なく、大事にはいたりませんでした。

千天出合のヒリシャンカ

千天出合のヒリシャンカ

その日、私は先輩と2人で北鎌尾根を末端(先天出合)から登っていました。

9時頃、2426mピークでポカリスエットの粉末をポリタンクの水に溶かしていると、先輩が「これは雪じゃないか」と変なことを言います。粉末が雪の結晶に見えたのかと思い、聞き流しました。やがて、それまで小雨かガスかわからない水滴だったのが、綿雪となって西から吹き付けてきました。

北鎌尾根下部の稜線

北鎌尾根下部の稜線

驚き慌てて、レインウェアを着込みました。いったんおさまりましたが、いつしか持続的に降り始めました。「紅葉の槍・穂高、転じて風雪の北鎌尾根だ」と軽口を叩いているうちはよかったのですが、悪路で木の根、岩角をつかむ軍手は濡れて、指先が冷えていきます。先行していた2人パーティーの方達は北鎌のコルで早々にテントを設営しました。我々はもうひと頑張りして、「天狗の腰掛け」にテントを設営しました。

足和田湖畔のヒリシャンカ

足和田湖畔のヒリシャンカ

テントは先輩が所有していた「ヒリシャンカ」。ペルーの山名をブランド名としたメーカーの製品でした。3本ポールで六角形。本体の天辺がメッシュでスースー寒いのでタオルを乗っけてふさぎました。

雪が降り積もって、すっかり冬山の様相です。ガスの切れ間に独標が浮かんでいました。夜になると雪はやみ、風もやみ、満点の星空となりました。薄いシュラフのなかで眠れない夜を過ごしました。

冠雪した山々を眺めながらヒリシャンカを撤収

冠雪した山々を眺めながらヒリシャンカを撤収

次の日は快晴。裏銀座や剱・立山方面は冠雪していました。

独標とヒリシャンカ

独標とヒリシャンカ

独標が我々を見下ろしています。

北鎌尾根より槍ヶ岳

北鎌尾根より槍ヶ岳

独標を巻き、北鎌平へ稜線をたどります。

「キタカマ」のペイント

「キタカマ」のペイント

当時、槍ヶ岳山頂から北鎌尾根への下り口には「キタカマ」とペイントされていました。

1989年10月の槍ヶ岳山頂

1989年10月の槍ヶ岳山頂

頂上の祠の形は現在と似ています。細部をよく見ると建て替えられているようです。

槍沢より槍ヶ岳

槍沢より槍ヶ岳

槍沢を下るころには日が傾いていました。

横尾のヒリシャンカ

横尾のヒリシャンカ

横尾に着いたのは夜7時頃。ヒリシャンカのなかで私は「極楽極楽」を連発しました。昨夜の極寒からすれば横になっているだけで暖かい。もっとも夜中の冷え込みは厳しく、先輩が「極楽にしては寒いな」と漏らします。

就寝前にラジオを聴いていると、立山で熟年パーティーが疲労凍死した事件が報じられました。

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