『山と食欲と私』第1巻をマニアックに読む

『山と食欲と私』という漫画があることは知っていましたが、これまで秒速でスルーしてきました。

まず「部屋とTシャツと私」的な、いかにも狙った風のタイトルが拒絶反応を誘うではありませんか。古い登山愛好家にとっては、自動的に「ランドネ」誌と同じ格付けになります。すなわち「マニアックな男子にはあまり読むところがないにちがいない」と。

これは先入観の極みでした。読んでみたら面白かった。タイトルどおり唾液が湧いてくるようなお手軽レシピが登場しますが、それらはむしろ脇話であり、登山あるある的なエピソードこそが読みどころです。

登山マニアや道具マニアなら、話の本筋よりも「どこの山を舞台にしているのか」が気になりますし、ちょい役の道具達に目が留まります。

第1話「山の上のおにぎり」

「双耳峰の鞍部に登る朝日」と「おにぎり🍙をかじった真ん中から頭を出した梅干し」を重ね合わせたコマが秀逸。植生を見ると、北八ヶ岳っぽい。中山峠付近から見た天狗岳か……と思ったけれど、この角度で日が昇るわけがない。夏沢鉱泉のほうか。

第2話「欲張りウィンナー麺」

コマクサが咲く高山帯。痩せた尾根に登山客が長蛇の列をなし、主人公が辟易する場面が描かれています。最初、東鎌尾根かと思いました。ラーメンを作っている遠景にてっぺんが平たい崖が見えます。適当に描いたのではなく、二度登場します。デカいケルンも描かれているので、八ヶ岳の硫黄岳付近でしょうか。主人公が使うガスコンロがスノーピークの「地」。しかも調節ツマミの形が現行モデルとはちがう旧型です。渋い。第3話でも登場します。

第3話「雲上の楽園コーヒー」

祠のある頂上。北アルプスの常念岳と思われます。取りい出したる魔法瓶は「サーモスの山専」でも「モンベルのサーモボトル」でもなく、「クリーンカンティーンのワイドインスレートボトル 」というお洒落さです。

第4話「背徳のカーボローディング」

主人公は日常のトレーニングとして、昼休みには食事の前にオフィスビルの階段を屋上まで2往復、ビルの陰でスクワットを30回やる。これは金曜日のメニューで普段はこの2倍。私は新宿の50階以上の高層ビルで1回だけやったことがあります。その頃は足腰に筋力がみなぎっていたので平気でしたが、今やったら筋肉痛で1週間くらい使い物にならなくなるでしょう。

第5話「不屈のにんにくネギ味噌さけ雑炊」

道に迷い、地図とコンパスを取り出します。真四角のプレートコンパスで、レンズが四角っぽい。国産(YCM等)かと思ったけれど現行モデルには見当たりません。どのブランドでも首紐用の穴は中央か左寄りに付いていますが、右寄りに付いているのは珍しい。ブランド不明です。

第6話「反省のカシューナッツ炒め」

主人公の部屋。日常的にシュラフで寝てる? 「孤高の人」かよ。山野井泰史さんかよ。横にベッドらしいモノが見えます。「前回、登山道を見失い遭難しかけてしまったことが鮎美には想像以上にショックな出来事であり、天気の良い日曜日ではあるが山へ行く気にもなれず何も食べずに寝ているのであった」とのこと。ぬいぐみるの横にピッケルが立てかけてあります。なぜかギターが描かれているのは、作者がほかに『少年よギターを抱け』という本を出していることと関係するのでしょう。

第7話「ほかほかホワイトシチューパスタ」

登山口に「〇×薬王院」の石柱。最後のピークは白馬のオブジェ。誰がどう見ても、高尾山~陣馬山の縦走です。ここでもスノーピークの「地」と「クリーンカンティーン」が登場。

私はこんな凝った食事は作ったことがありません。昔、吹雪の谷川岳でカップヌードルをすすったり、先年三つ峠でホットケーキを作ったくらいが凝った食事の代表です。

第8話「星降る夜のホットワイン」

「とある2500m超級の山頂」。そして、至近距離のテント場。谷の向かい側に「3000m峰の絶景」。誰が見ても北アルプスの蝶ヶ岳です。主人公愛用のテントはアライテントのトレックライズだと思われます。これといった特徴のないダブルウォールで長辺側に出入口があるくらいしかわかりませんが、張り綱の自在がアライテント特有の3穴プラスチックプレートなのが決め手です。スノーピークの「地」は健在。防寒対策としてシュラフの足元を空にしたザックに突っ込む小技あり。

第9話「下山後のご褒美」

樹林帯の長い下りの鬱陶しさ。「下り始めこそうすい積雪の上を滑らないように緊張して歩いたけど、50mも下ったら雪は消えて、あとは単調な樹林帯の登山道が続く」。たぶん蝶が岳から徳沢への下りです。すっころんだ間抜けさに自虐の時間。遠くにホーホケキョが聞こえる。そんなことが私にもありました。厳冬の槍沢から猛ラッセルで脱出し、文明を目指す逃避行。積雪が膝下になってからも、疲労困憊しているので、ちょっとしたことですっころぶ。ウアーッと自暴自棄に叫ぶ。叫んだところで誰も助けに来やしない。突っ伏したまま時間が過ぎる。静寂のなかどこからともなくチュンチュンッと鳥の声がする。それを聴いているうちに気が静まると、立ち上がり、何事もなかったかのように歩き続けたのでありました。

第10話「魅惑のブルスケッタ」

とある低山の縦走路。富士山がわりと近くに見える。丹沢周辺か。だだっ広い山頂に山小屋あり。塔ノ岳しか思い浮かびませんが、富士山の前景が微妙にちがう気がします。JETBOILならぬJETMANで調理する小ネタを見逃しはしませんでした。出会った知り合いパーティーは丹沢でテント泊? 稜線に正式なテント場はなさそう。私は東海自然歩道を高尾山から河口湖まで歩いたことがあります。稜線の適当な場所でテントを張りました。

第11話「炊きたてご飯のオイルサーディン丼」

相模湾と江の島ごしに富士山を遠望する低山。三浦半島のどこからしい。「メスティン」炊飯がお隣りのパーティーとかぶったときの心理は登山あるあるです。ガスコンロがスノーピークの「地」から、イワタニプリムスの「115フェムトストーブ」(?)に変わりました。さびしい。

火加減についてのウンチクが披露されていますが、メスティン愛好者のあいだでは「ほったらかし炊飯」が人気らしいです。

メスティンを持たないので「ほったらかし炊飯」をやったことはありませんが、ワンダーフォーゲル部時代に印象に残っている炊飯があります。忘れもしない大学1年の夏。2週間の南アルプス縦走を終えて、九州へ帰る長い鈍行列車の旅をしました。その列車で四人掛けの席に乗り合わせた人(その人もどこかの大学の山岳部かワンダーフォーゲル部の合宿帰りでした)が「読みますか?」と渡してくれた文庫本が、新田次郎の「孤高の人」でした。血沸き肉躍る物語が展開するのかと思いきや、口下手な会社員が人付き合いに悩んだり、共産主義者と疑われて警官に殴られたりする冴えない話で、40ページくらい読んだところで飽いてしまいました。後日、通読して感銘を受け、大学時代を登山に傾倒して過ごすことになろうとは……。さて深夜、乗り継ぎが途切れて、岡山駅で構内から追い出されました。暗い駅前のロータリーの段差に腰かけて、帆布製のキスリングからやおらラジウス(軽油ストーブ)を取り出して燃料を注ぎ、合宿で余ったわずかな米をアルミ食器に入れて炊飯しました。人通りはほとんどありませんでしたが、周囲の目が気になります。十分に炊き上がらないうちに火を止め、ガツガツとかきこみました。今だったら完全な不審者ですね。

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四方山話

コメント

  1. 山黒 より:

    私もこの漫画が好きで読んでいるのですが考察が最高に面白かったです!是非連載化を!