
ハイテク素材が支配する現代の雪山において、あえて天然素材の「木製ワカン(立山かんじき等)」をザックに忍ばせる。
それは単なる懐古趣味でも、ベテランの奇をてらったファッションでもありません。そこには、アルミやプラスチックが逆立ちしても敵わない、雪山という過酷な環境に適応した「合理的な機能美」が存在するからです。
木製ワカンの深淵なる世界と、それを一生モノにするための「育て方(メンテナンス)」について綴ります。
なぜ、21世紀に「木」なのか?

量販店の棚には、軽量で強靭なアルミ製ワカンが並んでいます。しかし、一部の好事家が敢えて木製を選ぶのには、明確な物理的理由があります。
① 「雪が付かない」という最強の機能
金属製のギアを使っていて最もストレスなのが「雪ダンゴ」です。
金属は熱伝導率が高く、外気で急激に冷やされます。そこに湿った雪が付着すると、瞬時に凍りつき、巨大な氷の塊となって足を重くします。
対して、木材は熱を伝えにくく、雪と接しても氷結しにくい性質があります。さらに、歩くたびに木が呼吸するようにわずかに変形するため、付着しかけた雪がパラパラと落ちるのです。
「何もしていないのに、いつも足元が軽い」。この魔法のような体験は、木製ならではのものです。
② 「しなり」が生む、驚異のグリップと耐久性
木製ワカンには独特の「しなり(撓り)」があります。
- サスペンション効果: 強い衝撃を柳のように受け流し、破損を防ぐと同時に、膝や腰への負担を軽減します。
- 路面追従性: 体重をかけると、地形の凹凸に合わせてフレーム全体がわずかに歪み、雪面や岩肌に「吸い付く」ようにグリップします。 この「柔よく剛を制す」特性こそが、不安定な雪上で最大の武器となるのです。
- 突然死しない: アルミは金属疲労で突然「パキッ」と折れることがありますが、木は繊維が繋がっているため、ヒビが入ってもガムテープや紐で補強して、騙し騙し下山できる「粘り」があります。これはサバイバルツールとして非常に重要な資質です。
ことわざに「柳に雪折れなし」とありますが、木製ワカンはまさにこれを体現しています。
蘊蓄(うんちく):知られざる「マンサク」の物語
木製ワカンの豆知識をふたつ。
「万年豊作」の縁起物
伝統的なワカンの素材には、主に「マンサク(ネソ)」や「タモ」の木が使われます。特にマンサクの若木は極めて粘り強く、蒸して曲げても折れにくい最高級素材とされます。
名前の由来が「万年豊作(まんねんほうさく)」に通じることから、昔のマタギや農家の人々は、豊猟・豊作を願う「縁起の良い道具」として、このマンサクのワカンを大切にしてきました。 雪山という死と隣り合わせの世界に、生への祈りが込められた素材を履いていく。なんとも浪漫的ではありませんか。
「左右」は使い手が決める
新品の木製ワカンには、厳密な左右の区別がないものが多いです。しかし、使い込むうちに、持ち主の歩き方の癖、足の傾きに合わせて木が徐々に歪み、「自分の足の形」に進化していきます。 ある日ふと、「あ、こっちが右足用だ」と直感的にわかる瞬間が訪れる。その時、道具は「既製品」から、自分だけの「相棒」になるのです。
儀式としてのメンテナンス:道具を育てる悦び

木製ワカンは、放っておけば乾燥して割れ、湿気で腐ります。しかし、手をかければ孫の代まで使えるほど長持ちします。シーズンオフのメンテナンスは、次の冬への祈りを込めた儀式のようなものです。
手順①:陰干し(最重要)
使用後は泥や汚れをタワシで落とし、風通しの良い日陰でじっくり乾燥させます。
早く乾かしたいからといって、ストーブの前や直射日光に当てるのは絶対NGです。急激な乾燥は木の細胞を破壊し、致命的な「割れ」を引き起こします。
手順②:ささくれの処理
乾燥後、岩などで擦れてできた「ささくれ」があれば、サンドペーパー(紙やすり)で軽く整えます。深い傷でなければ、多少の削れは勲章のようなものです。
手順③:油を食わせる(オイルフィニッシュ)
ここが一番のハイライトです。乾燥してカサカサになった木に、油分を補給します。
- 推奨オイル: 乾性油である「アマニ油(亜麻仁油)」や「荏油(えあぶら)」、あるいは木工用の「クルミ油」。食用のオリーブオイルやサラダ油は乾かないのでベタつき、カビの原因になるため避けてください。
- 方法: 布にオイルを染み込ませ、木目に沿って丁寧に塗り込みます。フレームの曲げ部分や、紐が通る穴の周りは特に入念に。
- 効果: 油を吸った木は、防水性が蘇り、粘り強さを取り戻します。そして何より、塗り重ねるごとに深く美しい飴色(あめいろ)へと変化していきます。
手順④:冷暗所で眠らせる
新聞紙などで包み、湿気が少なく、温度変化の少ない場所で次の冬を待ちます。
まとめ
最新のF1マシンのようなアルミ製ワカンやスノーシューも素晴らしいですが、木製ワカンは、手入れをしながら長く付き合う「愛馬」のような存在です。
手間はかかります。しかし、オイルを塗りながら「あの時のラッセルはキツかったな」と昨シーズンを振り返る時間こそが、雪山登山の余韻を豊かにしてくれます。

……が、しかし、その相棒はもう傍らにいません。
雪山登山から足を洗って、乾いた岩でのフリークライミングに熱中していた時期に断捨離しました。再び雪山と対峙したとき、いちばん悔やんだのがこのワカンの喪失です。


コメント