
「永遠の初心者」という最強の防具を、そろそろ脱ぎませんか?
YouTubeで登山動画を観ていると、ある種の「時空の歪み」を感じることがあります。
動画の端々で「初心者なので」と言い添える投稿者さん。しかし、その装備を見てください。使い込まれたザック、足元には厳冬期用の登山靴、そして手にはグリベルの最新ピッケルが握られている……。
「えっ、その装備で初心者?」と思いバックナンバーを遡ると、なんと5年前から「初心者」として雪山に登り続けていらっしゃる。
桃栗三年柿八年と言いますが、5年もあれば赤ちゃんだって走り回り、「イヤイヤ期」すら卒業しています。
なぜ、頑なに「初心者」の看板を下ろさないのか。そして、本当の意味での「初心者」はいつ終わるのか。
ビジネス理論、大学山岳部のシステム、IT業界のサイクル、果ては将棋界の掟まで、あらゆる角度から検証してたどり着いた「初心者の賞味期限=2年説」について語ります。
なぜ人は「初心者」を名乗りたがるのか?
答えはシンプルです。「初心者」という肩書きが、ネット社会における最強の「防具」であり「免罪符」だからです。
もし、アイゼンの歩行技術が甘かったり、ルート判断が少し雑だったりしても、「初心者ですので(てへぺろ)」という魔法の言葉を添えておけば、コメント欄の治安はある程度守られます。「まあ、初心者なら仕方ないか」「頑張れ!」と応援してもらえるのです。
逆に、「中級者」を名乗った瞬間、世間の目は厳しくなり、「その足運びは危ない」「リスクマネジメントが甘い」とマサカリが飛んできます。
批判されるのは誰だって怖い。だからこそ、多くの人が「永遠の初心者」というぬるま湯に浸かり続けてしまうのです。
検証:なぜ「2年」がリミットなのか
検証①:技能習得の「ドレイファス・モデル」が示すライン
まずはアカデミックな視点から。技能習得のプロセスを示した「ドレイファス・モデル」という有名な理論があります。 この5段階のレベル定義を見ると、初心者を卒業するラインが明確になります。
- 初心者(Novice): ルール厳守。 文脈に関係なく、教わったマニュアル通りに行動する段階。
- 新人(Advanced Beginner): 少し応用が効く。 過去の経験に基づいて多少の状況判断はできるが、まだ全体責任は負えない段階。 (※ここが「2年目まで」のイメージ)
- 有能者(Competent): 自分で計画・実行。 自らの意思で計画を立て、どのルールを使うか自分で選び、結果に責任を持てる段階。 (※ここが「3年目以降」の目標)
- 精通者(Proficient): 全体が見える。 理屈よりも「状況」を直感的に把握し、優先順位を瞬時に判断できる段階。
- 達人(Expert): 無意識の境地。 意識せずとも最適解が出せる段階。
このモデルにおいて、レベル2(新人)からレベル3(有能者)への壁を超えるのが、多くの技能において「2年」という期間です。
「教わった通りにやる期間(1年目)」を経て、「自分で試行錯誤する期間(2年目)」を終えたとき、人は初めて「自分の判断でリスクを取る(3年目)」段階に入ります。つまり、「誰かに守ってもらえる2年間」が終われば、自動的に初心者の猶予期間も終了するのです。
検証②:大学山岳部という「強制2年システム」

この「2年説」を最も強力に、かつ涙ぐましいほどリアルに裏付けるのが、体育会系山岳部の階級システムです。 彼らの4年間は、ただの時間の経過ではありません。身分の変遷です。
- 1年目(奴隷・歩く荷物): 彼らに人権はありません。あるのは「体力」と「返事(ハイかイエスのみ)」だけ。 先輩の共同装備(テント・鍋・無線機)を自身のザックに詰め込まれ、物理法則を無視した重量を背負わされます。山頂の景色を見る余裕などなく、見ているのは先輩のかかとだけ。「連れて行ってもらう」どころか「出荷される荷物」に近い存在です。
- 2年目(軍曹・中間管理職): 後輩が入ってきて、ついに人権を取り戻します。 実務能力はつきましたが、最終責任は3年生が取ってくれるため、人生で一番イキれる「無敵の期間」です。1年生に対して「声が小さい!」「パッキングが甘い!」と鬼軍曹のように振る舞いますが、地図読みで迷うとすぐに3年生の方をチラ見します。 「実務はやるが、責任は取らない」。この甘美なモラトリアムこそが、初心者の特権です。
- 3年目(将軍・絶対君主): ここで「初心者」は強制終了。部室の空気が変わります。 リーダーとしてパーティの全責任を負い、彼が「右」と言えば断崖絶壁でも右に進まねばなりません。気象図とにらめっこし、撤退の決断を下すその背中は、21歳にして中間管理職の哀愁が漂います。もう「わかりません」は許されないのです。
- 4年目(仙人・レアキャラ): では4年目は? 彼らはもう俗世(部活)から解脱し、さらに過酷な「就職活動」という下界の山へ旅立ちます。 たまに合宿に現れると、ボロボロだが手入れの行き届いた装備を身に着け、神のような扱いを受けますが、本音では「久しぶりの山、しんど……」と思っています。もはや現役の枠組みを超越した存在です。
つまり、実働部隊として活動できるのは3年生まで。 「3年生の春」を迎えた部員が、「私、初心者なんで天候判断できません」と言ったらどうなるか? 部は崩壊し、遭難のリスクに直結します。 山岳部の世界では、構造的に「教わる側でいられるのは2年間だけ」と決まっているのです。
検証③:IT業界の代謝と「1000時間の法則」
視点を変えて、変化の激しいIT業界を見てみましょう。実はここでも、構造的に「2年で潮目が変わる」よう世界が設計されています。
1. 技術とハードウェアの「2年」
技術的なライフサイクルも、意図的に「2年」で設計されているものが多くあります。
- 「ムーアの法則」の残像: 半導体の性能が18ヶ月〜24ヶ月(約2年)で2倍になるという有名な法則です。現在は鈍化していますが、このリズムに合わせてハードウェアの更改や、サーバーのスペック見直しが検討される名残が強くあります。
- スマホと契約のサイクル: iPhoneなどのスマートフォンの買い替え(バッテリー寿命や分割払い終了)が約2年です。BtoCサービスやアプリ開発の現場では、ユーザーが持つ端末の性能が「2年で一新される」ことを前提にロードマップを引くため、サービスのトレンドも2年で変化します。
- OSやミドルウェアのバージョンアップ: OSやフレームワークのメジャーアップデート間隔が、多くの場合2年に設定されています。これにより、2年ごとに「強制的なシステムの基盤更新」イベントが発生しやすくなっています。
2. プロジェクトと人事の「2年」
多くのIT現場で、人の配置やプロジェクトの区切りが2年単位で動くことが多いです。
- プロジェクトの寿命: 大規模なシステム開発や刷新プロジェクトは、要件定義からリリースまで1年半〜2年かかることが一般的です。一つの大きな山を越えて「さあ次」となるのがちょうど2年後になります。
- 「石の上にも三年」の短縮版: エンジニアの転職市場では、「1つの現場で2年経験があれば、その技術を習得したとみなす」という暗黙の了解があります。そのため、2年経つとキーマンが転職したり、パートナー企業のメンバーが入れ替わったりして、組織の雰囲気がガラッと変わることがよくあります。
3. 「1000時間の法則」の計算
そして極めつけは、ある分野で脱・初心者レベルになるには「1000時間の投下が必要」という経験則です。これを計算してみましょう。
- 仕事(毎日8時間)の場合: 1000時間 ÷ 8時間 ≒ 125日(約半年〜1年)。
- 趣味(週末+平日夜コツコツ)の場合: 週10〜15時間ペースなら、約1年半〜2年。
どうでしょう? 趣味で楽しむペースなら、まさに「2年」が1000時間に到達し、初心者を卒業するタイミングと合致するのです。
どの業界、どの物差しで測っても、針は「2年」を指しているのです。
でも、野球や将棋はもっと長いのでは?
鋭い指摘です。「プロ野球の新人王資格は5年目まで」「将棋の新人王戦は26歳以下(プロ入り後5〜10年でも可)」というルールがあります。
しかし、これはあくまで制度上の話。
野球ファンの心理として、3年目以降の受賞者は「オールドルーキー」や「苦労人」として扱われます。「ピカピカの初心者」として見られるのは、やはり実質2年目まででしょう。
制度という「建前」は優しくても、実力主義の「本音」の世界では、2年という期間は決して短くないのです。
結論:山は「自称」を聞いてくれない
ここまで議論してきて、結論は一つです。
「仕事を始めても、趣味を始めても、初心者を自称して許されるのは2年間まで」。
もちろん、山に対して謙虚であることは重要です。「自分はまだまだ未熟だ」と戒める姿勢は素晴らしい。
しかし、それを「批判を避けるための盾」に使ってはいけません。
なぜなら、大自然は、あなたが「自称・初心者」だろうが「自称・ベテラン」だろうが、平等に牙を剥くからです。
滑落しそうな雪稜で、ピッケルを震わせながら「私、初心者なんです!」と叫んでも、重力は「あ、そうなの? じゃあ落ちるのやめとくね」とは言ってくれません。
「脱・初心者」宣言をしよう
登山を始めて2年が過ぎ、春夏秋冬を一通り経験したら、そろそろ、そのカピカピになった初心者マークを剥がす時期です。
「初心者」という防具を脱ぎ捨てるのは勇気がいります。風当たりも強くなるでしょう。
しかし、その風を「冷たい」と感じるか、「涼しい」と感じるか。そこからが、本当の登山の面白さ、そして「趣味の深淵」への入り口なのだと思います。
さあ、勇気を出してプロフィール欄を書き換えましょう。
「登山歴3年目。もう初心者とは言わせない(でもお手柔らかに)」と。
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