秘密の階段とオーバーツーリズム

記事内に広告が含まれています。

長年暮らしている町で見つけた「100段の階段」について、前の記事でご紹介しました。

記事の最後を「場所は当分のあいだ秘密」と締めくくったことに対して、「なぜ教えないのか」「たかが住宅地の階段を公開したくらいで、それほど人が増えるものなのか」と疑問を持たれた方もいらっしゃるかもしれません。

実は、場所の公開を控えた背景には、単なる出し惜しみではなく、「もし公開したら何が起きるか」を数字に置き換えてみた結果と、登山者がこれまで何度も目撃してきたオーバーツーリズムに通じる構造的な問題があります。

都会の登山者よ、階段を探せ--最強の日常トレーニングは階段歩荷だ
30年以上暮らしている町で、思いがけない宝物を発見しました。およそ100段の階段です。神社の参道でも観光名所でもありません。住宅地の片隅に昔から存在していた、ごく普通の生活階段です。登山のトレーニングに使える階段を探していた私にとって、まさ...

秘密の階段」を公開したときの発信インパクト(フェルミ推定)

私が利用しているこの階段についてWebで検索してみても、ごくわずかなページしかヒットしません。

「ネット上に情報がないなら、公開しても誰も来ないのでは?」と思われがちですが、必ずしもそうとは限りません。

競合する情報がほとんどない場所について、具体的な地図や利用価値を紹介した記事が公開されれば、検索結果でいきなり最上位に表示される可能性があります。さらにSNSや口コミを通じて、これまで存在すら知られていなかった場所が、わざわざ訪れる価値のある「目的地」に変わってしまうかもしれません。

情報が需要を満たすだけでなく、情報そのものが新しい需要を生み出すのです。

では、実際にどれほどの人が集まる可能性があるのでしょうか。

ここで、この階段が存在するエリアを想定し、公開後の利用者数を試算(フェルミ推定)してみます。

潜在ターゲット層の割り出し

まず、この階段の周辺に、トレーニング場所を探している人がどれくらいいるのかを考えてみます。

  • 周辺人口(仮に80万人)× スポーツ・アウトドアに親しむ層(仮に10%)= 80,000人
  • そのうち「階段歩荷」「トレランの登坂練」「階段ダッシュ」などの高負荷トレーニングを行う層(仮に5%)= 4,000人

つまり、周辺には、この階段に魅力を感じそうな人が約4,000人いるという仮定です。

Web記事・SNS拡散による利用者の増加

この4,000人のうち、Web記事やSNSなどを通じて場所を知り、実際に通い始める人がどれくらいいるでしょうか。

仮に、その割合がわずか2.5%だったとします。

  • 4,000人 × 2.5% = 100人

つまり、潜在的な利用者のうち、わずか2.5%が日常的なトレーニング場所として利用するようになっただけで、アクティブユーザーは100人に達する計算です。

もちろん、2.5%という数字に統計的な根拠があるわけではありません。情報がどれほど拡散し、実際の利用につながるかは未知数です。

しかし、ここで考えたいのは正確な未来予測ではありません。

「もし100人が、この階段を日常的なトレーニング場所として使うようになったら、何が起こるか」という思考実験です。

仮に100人が月8回、週2回程度のペースで通うとすれば、月間延べ利用回数は800回になります。

さらに、1か月を平日22日・休日8日と想定し、休日に利用が集中すると仮定します。

月間800回のうち、平日に55%、休日に45%の利用があると仮定して振り分けると、

  • 平日:800回 × 55% ÷ 22日 = 1日あたり20人
  • 休日:800回 × 45% ÷ 8日 = 1日あたり45人

という規模になります。

つまり、休日は平日の約2.25倍の人が訪れる想定です。

もちろん、この55%対45%という配分も実測データではなく、休日に利用が集中する状況を想定した仮定です。

数字だけを見ると、まだ大したことがないように思えるかもしれません。

しかし、問題は1日あたりの利用者数ではありません。同じ時間帯に何人が居合わせるかです。

「自分がそこにいる1時間」に置き換えてみると(同時滞在密度の試算)

数字を日常の実感に落とし込んでみます。

私がこの階段でトレーニングを行う時間は、1回あたり最大でも1時間程度です。

この1時間の枠で、利用者が集中する時間帯の「平均同時滞在人数」を試算してみると、より現実味のある光景が浮かんできます。

平日の夜間(19:00〜21:00の2時間)
仕事終わりの利用が集中し、平日の全体の約50%(10人)がこの2時間にやってくると仮定します。全員が1時間滞在するとすれば、この時間帯の平均同時滞在人数は、

10人 × 1時間 ÷ 2時間 = 5人

となります。

休日の午前中(7:00〜11:00の4時間)
休日の利用者45人のうち、約50%(22.5人)が午前中の4時間に集中すると仮定します。同じく1時間滞在するとすれば、

22.5人 × 1時間 ÷ 4時間 = 約5.6人(約6人)

となります。

これはあくまで時間帯全体の平均値です。実際には人が集中する時間と、誰もいない時間があるでしょう。

私が実際に現場に通って観察した範囲では、1時間トレーニングしてすれ違う同好のトレーニーは平均1~2人程度。散歩者の方が3〜4人程度という静かな環境です。

そこに、平日夜間なら平均5人、休日午前なら平均6人ほどのトレーニーが新たに滞在する状況を想像してみてください。

ザックを背負った人、階段ダッシュを繰り返す人、息を荒らげて何度も往復する人。

100段の階段に、常に誰かがいるような光景になるかもしれません。

これは公開によって100人が通うようになった場合の話です。

仮にその10分の1、たった10人が新しく利用するようになっただけでも、時間帯によっては複数のトレーニーが鉢合わせることになります。

住宅地の生活階段は、競技場でもトレーニング施設でもありません。

その場所の許容量は、私たちが想像するよりもずっと小さいのかもしれないのです。

富士山と上高地が教えてくれる「俗化」のメカニズム

100段の階段に何人ものトレーニーが集まり、ひっきりなしに往復を繰り返す——。

この光景には、登山者にとってどこか既視感があります。

富士山の登山道の大渋滞や、上高地・河童橋の大混雑です。

もちろん、観光客が押し寄せる日本有数の山岳観光地と、住宅地の小さな階段では規模も目的もまったく異なります。

しかし、情報によって人の流れが変わり、その場所の受け入れ能力を超えてしまうという構造には、共通するものがあります。

山が俗化するプロセスは、おおむね次のような段階を辿ります。

  1. 「情報開示」によるアクセシビリティの劇的向上
    かつては経験者の知識や地元の噂を頼りにアクセスしていた場所が、SNSやWeb記事によって「誰でも行けるスポット」として一気に可視化されます。
  2. キャパシティ(許容容量)の超過
    アクセスしやすくなった結果、利用者が増加し、その場所が持つ本来の静寂や受け入れ能力を超えてしまいます。
  3. 質の変質と規制(排除)の始まり
    人が集中することでゴミ、騒音、渋滞などの問題が生じます。やがて地域住民や管理主体との摩擦が大きくなり、利用規制や立ち入り制限、有料化などの対策が導入されることがあります。

住宅地の階段も例外ではありません。

静かな生活道路に外部から人が集まり、夜間にライトを照らして階段ダッシュや歩荷を繰り返せば、地元住民からは「不気味で危険な場所」として認識されてしまうかもしれません。

もちろん、すべてのトレーニーが迷惑行為をするわけではありません。むしろ、互いに譲り合い、周囲に気を配りながら利用する人が大半でしょう。

それでも、人数が増えれば、どれほど一人ひとりが気をつけていても、生活道路としての機能とトレーニング利用が衝突する可能性は高まります。

最終的に待っているのは、

「この階段でのトレーニング・運動を禁止します」

という看板の設置かもしれません。

せっかく見つけた貴重な練習場所を、誰もが使いにくくしてしまう。

登山者なら、こうした規制が生まれる背景にも、ある程度の理解があるはずです。

生活の中で静かに共有される階段

私より先にこの階段を利用している先客たちの姿を見ていると、彼らの多くはおそらく近所に住んでいる方か、昔から生活動線としてこの場所を知っていた地元の方々ではないかと思います。

中には、SNSやブログでの情報発信などにはまったく興味がなさそうな、年配のランナーやトレーニング好きと思われる方の姿もあります。

もちろん、どこでこの階段を知ったのか、本人に尋ねたわけではありません。

ただ、彼らを見ていると、ネットで見つけた「トレーニングスポット」にわざわざやって来たというより、日々の生活や日課の延長として、静かにこの階段を使っているように感じられます。

誰かが意識的に「秘密を守ろう」と身構えているわけでもないのでしょう。

ただ、そこに階段があり、歩く人がいて、鍛える人がいる。それだけのことです。

だからこそ、誰かがWeb上にマップ付きで情報を公開し、外部から意図的に人の流れを作ってしまえば、彼らが長年親しんできた静かな日常や練習環境まで変えてしまうかもしれません。

自分のブログで紹介できるからといって、そこに新しい人の流れを作り出すことには慎重でありたいと思います。

Webに乗らない情報にこそ、価値がある

あらゆる場所やノウハウがインデックス化され、スマホひとつで瞬時に検索できる時代になりました。

情報が存在しない場所など、地球上にはもう残っていないかのようにも思えます。

しかし実際には、検索結果のトップに表示される賑やかなスポットの陰で、誰かの日常や静かな習慣として脈々と息づいている「Webに乗らない情報」が確かに存在しています。

私が前の記事で紹介したかったのは、特定の階段の所在地ではありません。

都市の中にも、登山のために体を鍛えられる場所があること。

地形図を眺め、町を歩き、自分の足で探せば、長年暮らしてきた場所にも思いがけない発見があること。

そして、自分だけの階段を探すという行為そのものが、小さな冒険になり得ることです。

目的地を検索すれば、すぐに地図が表示される。

誰かが発見した場所を、誰もが同じように訪れる。

それは確かに便利なことですが、すべての場所がそうなる必要はないでしょう。

デジタル上のデータベースに登録されていないからこそ守られている静寂があり、その不可視性の中にこそ、現代において最も贅沢な価値が潜んでいるのではないでしょうか。

だからこそ、私はこの階段の場所を明かしません。

この静寂と、そこに息づくささやかな日常を、そのままの形で街に残しておくために。

四方山話
スポンサーリンク

コメント