救助隊は2度現場に赴く【富士山に蔓延るルサンチマン】

記事内に広告が含まれています。

2026年7月中旬、富士山で54歳の男性が「疲労」を理由に2日連続で救助を要請しました。

男性は富士宮口から登山を開始しましたが、7月11日午後2時頃、8合目付近で疲労により動けなくなり、救助を要請しました。男性は、救助に駆け付けた静岡県警の山岳遭難救助隊員から7合目の山小屋で休むよう言われ、11時間ほど睡眠をとって1泊したのち、7月12日の午前6時45分に下山を開始しました。しかし、1時間ほどかけて300メートル下ったものの、足が痛くなり1時間ほど休憩。その後、1時間程かけて100メートル下山しましたが、「やっぱりだめだ」と限界を感じ「疲れて動けない」と再度、救助を要請したということです。男性は、山岳遭難救助隊と合流し、付き添ってもらいながら、自分の足で下山しました。男性には登山経験があり、しっかりとした装備で登山に臨んでいたということです。

ヘリコプターが出動したわけでもなく、救助隊に付き添われながら自力で下山したにもかかわらず、このニュースが報じられるや否や、コメント欄は「自己責任」「体力不足」「救助費用を全額請求しろ」という大合唱に包まれました。

なぜ、これほどまでに苛烈な非難が浴びせられるのでしょうか。

その背景には、「2度」というキーワードが引き起こした、ある記憶への連想があるのかもしれません。

「2度目の出動」が招いた誤解

2025年4月、「富士山で救助された登山者、携帯電話捜しに戻り4日後また救助」というセンセーショナルなニュースが流れました。

閉山中の富士山に登り、道具紛失などで身動きが取れなくなった中国人留学生の男性が22日、ヘリコプターで救助された。数日後、男性は置き忘れた携帯電話を捜しに、富士山に再び入山。高山病を発症し、26日にまた救助された。

今回のニュースも、「2日連続で救助要請」という字面だけを見れば、一瞬、同じ種類の身勝手なトラブルと思ってしまいます。その表面的な類似が、脊髄反射的な非難に火をつけたのでしょう。

しかし、スマートフォンを取りに戻った行為と、自らの身体が思うように動かなくなることは、本来まったく別の話です。

もちろん、今回の男性が実際に急性高山病だったと断定することはできません。しかし、もし高山病だったという仮説に立てば、この不可解な経過は驚くほど一本の線でつながります。

最強の登山家を殺す「睡眠」という罠

ここで、ヒマラヤの8000m峰や過酷な高所登山における恐ろしい事例をご紹介します。

それは、「常人離れした体力を持つトレイルランナーや、ルート工作で誰よりも活躍した屈強なエースクライマーが、前夜まで元気だったにもかかわらず、翌朝テントの中で人事不省に陥って命を落とす」というケースが珍しくないという事実です。

強靭な体力を持つ者は、高度障害の初期症状を「ただの疲労」として気合いでねじ伏せて行動できてしまいます。しかし、彼らがテントに入り、「眠れば治る」と横になった瞬間から、状況は一変します。

睡眠によって換気量が低下すると、高所では低酸素状態がさらに深刻になります。未順化の身体では、その数時間のあいだに高地脳浮腫や高地肺水腫が急速に進行することがあります。

平地では、「疲れたら休む」「眠れば回復する」が正解です。しかし標高3,000m近い世界では、その常識が裏切られることがあります。

もし今回の男性が初日の時点で急性高山病を発症していたのだとすれば、7合目で横になっていた11時間は、身体を休めていた時間ではありません。低酸素という見えない重圧に、脳と身体がさらされ続けていた11時間だった可能性があります。

翌朝、「たった300m下っただけで足が痛くなり、動けなくなった」。

それはサボりでも甘えでもありません。酸素不足によって身体が正常なパフォーマンスを発揮できなくなっていたと考えれば、十分に説明できる現象なのです。

インフラ化する山と、蔓延るルサンチマン

さらに言えば、夏の富士山は、もはや「大自然への冒険」というより、巨大な観光インフラです。

数千人が同じ登山道を歩き、渋滞が発生し、山小屋は満員になる。そのような超高密度の環境では、一定数の体調不良者が発生すること自体、個人のモラルというより、避けることのできない確率論と言えるでしょう。

満員の山手線で乗客が貧血を起こし、列車が止まり、救護活動がおこなわれたとします。病人に向かって「乗客三千人から時間を奪った。損害賠償しろ!」と怒鳴りつける社会は、明らかに病的です。

救助隊が体調不良者に付き添って下山した今回の対応もまた、この巨大なインフラを安全に機能させるための基本的なメンテナンスの一つです。

それを、手付かずの冬山やバリエーションルートと同じ「自己責任論」で裁くこと自体が、的を射ていません。

救助隊は、何を救いに行ったのか

今回の出来事に対して浴びせられた言葉の数々は、ネットに蔓延るルサンチマンの醜悪さを浮き彫りにしています。

高所という特殊環境も、人間の生理も理解しようとせず、「自分に関係のない他人の尻拭いをさせられる」という感覚だけで怒りを募らせ、その怒りを見知らぬ誰かへ投げつける。その矛先は、本当に向けるべき対象を見失っています。

もちろん、登山には自己責任の側面があります。体力を養い、装備を整え、自分の限界を見極める努力は欠かせません。

しかし、体調を崩した人間を見た瞬間に「怠け者」「迷惑者」と決めつけることは、登山という営みへの理解を深めるどころか、人間という存在そのものへの想像力を失わせます。

救助隊は2度現場に赴きました。

1度目は、一人の登山者を救うために。

2度目は、高所では「疲れたら眠る」という平地の常識さえ命取りになり得るという事実を、私たちに突きつけるために。

複雑な現実を知ろうともせず、短い見出しだけで結論を下し、「自己責任」という便利な言葉で思考を停止させる群集の放つルサンチマンこそ、私たちが向き合うべきもう一つの危険なのかもしれません。

ルサンチマン(仏: ressentiment)とは、ドイツの哲学者ニーチェが提唱した心理概念であり、「本来の『反動』、すなわち行動によって反応することが禁じられているので、単なる想像上の復讐によってその埋め合わせをつけるような徒輩」とされています。
四方山話
スポンサーリンク

コメント