
上高地の入園料義務化がいよいよ現実味を帯びてきました。松本市が2028年度の導入を目指すと正式に発表したことで、北アルプスの玄関口は大きな転換期を迎えています。
これまで、この手の議論になると決まって出てくるのは「国立公園はみんなのもの」「おもてなしの心を忘れるな」といった、どこか教科書的な正論でした。確かに、誰にでも開かれた場所であることは日本の国立公園の誇りだったかもしれません。しかし、現場を知る登山者からすれば、その「おもてなし」も、今や単なる「お人好し」に映るのが正直なところではないでしょうか。
ヒマラヤに学ぶ「入山料」のグローバル・スタンダード

ここで、世界の屋根・ヒマラヤの例を引いてみましょう。ネパールなどのヒマラヤ登山では、外国人は高額な入山料(パーミット)を支払うのが鉄則です。例えばエベレストであれば、一人あたり1万ドル(約150万円)以上の支払いが義務付けられています。
これは現地のインフラを維持し、清掃や救助体制を整えるための貴重な財源となっています。そして重要なのは、「自国民には安価に、外来者には相応の負担を」という区別が、国際社会でごく当たり前の「権利」として認められている点です。
対して日本はどうでしょう。インバウンド需要で溢れかえる上高地において、歩道の摩耗やゴミの処理コストは、今も日本居住者の税金によって賄われています。ヒマラヤで我々が「外貨」を落として山を守っているように、日本の山でも、今こそ国際的な「相互主義」に基づき、明確に外国人料金を設定すべきです。この毅然とした姿勢こそが、山岳環境を守るための最もロジカルな一歩だと言えるはずです。
1980年代に、すでに大正池は「死んで」いた
さて、ここからは私個人の、少しばかり偏屈な「夢物語」にお付き合いください。もし入園料という形で「外貨」が山に落ちるなら、ただトイレを直すだけではつまらない。私はこの予算を、かつて失われた上高地の象徴——「大正池の幽玄」を復元するプロジェクトに投じてほしいと願っています。
私が初めて上高地を訪れた1980年代、すでに大正池の「立ち枯れの木々」は朽ち果て、かつての面影は失われていました。今の若い観光客は、ただの広い池を見て「綺麗だ」と満足しているようですが、あれはもはや大正池の死後の姿に過ぎません。
究極の「復元プロジェクト」は実現可能か

「自然のサイクルに手を加えるべきではない」という声も聞こえてきそうですが、実は現在の大正池も、重機で土砂を掘り出し、人為的にその形を維持している「造られた池」です。であるならば、その維持管理の一環として、かつての景観をリ・デザインすることは、決して荒唐無稽な話ではないはずです。
- 歴史的景観の「再構築」: 浚渫(しゅんせつ)と同時に、炭化処理などで耐久性を高めた立ち枯れの木を、かつての写真に基づき配置し直す。
- 美学的インフラの整備: 観光客が喜ぶ「映え」のためだけではなく、霧の中に沈む静寂を取り戻すための、高度な造園・土木技術の結晶こそが入園料を支払うに足る、真の付加価値となるはずです。
- 教育的価値: 噴火によって誕生した当時の劇的な姿を後世に伝える「生きた博物館」としての機能。
「納得感」のある徴収の形を目指して

こうした「失われた美の再生」に予算が使われるなら、長年この地を見守ってきた日本の古い登山愛好家たちの反応も変わるはずです。
「単なる混雑対策の通行料」として徴収されるのであれば、ベテランたちの間には抵抗感が残るでしょう。しかし、自分たちが愛し、そして失われていくのをただ眺めるしかなかった「あの風景」が戻ってくるというのなら? その再建費用の一部を担うことに、多くの登山者はむしろ前向きな意義を見出すのではないでしょうか。
「入園料を払って、かつての幽玄な朝霧に出会える」。そんな未来が、ただのノスタルジーで終わらないことに、はかない期待を抱かずにはいられません。
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