
私たちは皆、そのロゴを知っています。
日本の険しい稜線でも、のどかなキャンプ場でも、あるいは休日のショッピングモールのフードコートでも。あの「菱形を組み合わせたMの字」を見かけない日はありません。
株式会社モンベル。日本が世界に誇るアウトドア界の巨人です。
しかし、なぜでしょうか。私たちがその高性能なジャケットに袖を通すとき、口をついて出るのは純粋な感嘆だけではありません。「ああ、性能は最高なんだけど……」という、諦めにも似た、ほろ苦い溜息が混じるのです。
日本のアウトドアシーンに屹立するこの巨人が、なぜこれほどまでに我々の心をざわつかせ、同時に離れがたい安心感を与えるのか。その複雑怪奇な迷宮の奥へと、足を踏み入れてみることにしましょう。
プロガイドが漏らした「残酷な本音」

あるとき、馴染みのプロガイドと山道具の話をしていた際のことです。彼はふと、独り言のようにこう漏らしました。
「やっぱりさ、モンベルを着ていると、どうしても素人っぽく見られちゃうんだよね……」
それは、特定の誰かに向けた警告ではなく、業界に漂う空気を言語化しただけの、素朴な本音でした。しかし、だからこそグサリと刺さる真実が含まれています。
ここには、モンベルがあまりにも偉大であるがゆえのパラドックスがあります。
高品質で、どこでも買えて、しかも圧倒的に安い。これから登山を始める初心者が最初に手に取るのは、間違いなくモンベルです。
その結果、「モンベル=初心者の装備=素人」という図式が、一部の選民意識の高いハイカーやプロの間で(無意識のうちに)成立してしまったのです。
パタゴニアを着ていれば「カルチャーを理解している人」、アークテリクスなら「ガチ勢」。
ではモンベルは? 悲しいかな、その普及率の高さゆえに「公民館」のような扱いを受けています。誰にでも開かれ、誰にでも優しい。けれど、特別感を求める人々からは「無難すぎる」と敬遠されてしまうのです。
生態系としての「モンベルおじさん」

この「素人っぽさ」というイメージを補強してしまっているのが、日本独自の現象である「モンベルおじさん(或いは、おばさん)」の存在かもしれません。
彼らの生態は、ある意味で究極の合理主義です。
頭の先からつま先まで、帽子、フリース、パンツ、靴下に至るまでモンベルで統一。「全身モンベル」こそが彼らの正装です。
そして、その色彩感覚は極めてアバンギャルド。アースカラーのズボンに、目が覚めるような原色のジャケットを合わせたりします。
しかし、彼らを笑ってはいけません。彼らは知っているのです。
「ファッションセンスで低体温症は防げないが、エクセロフト(モンベルの化繊綿)は命を救う」という、山の絶対真理を。
彼らは「他人の目」というコストを切り捨て、「生存」というリターンを最大化している投資家のようなものなのです。
海を渡れば「賢者の選択」になる

ところが、視点を海外に移すと景色は一変します。
アメリカやヨーロッパのハイカーたちの間で、モンベル(特に海外展開モデル)は「Hidden Gem(隠れた名品)」として熱烈に支持されているのをご存じでしょうか。
彼らには「モンベルおじさん」のバイアスがありません。彼らの目には、ロゴのイメージなど映らないのです。見ているのは「スペック」と「プライスタグ」という数字だけ。
「おい、見ろよこのダウンジャケットを。クレイジーなほど軽いのに、信じられないほど安い。日本人は魔法使いか?」
海外の辛口ギアレビューサイトでは、モンベル製品はしばしば「Best Buy」や「Editor’s Choice」をさらっていきます。
彼らにとってモンベルは「ダサい」のではありません。「Smart Choice(賢明な選択)」なのです。日本人が「ロゴがなぁ……」と卑下している間に、世界はモンベルの社是である「Function is Beauty(機能美)」を、言葉通りに受け取っていたのでした。
提言:その「M」を脱ぎ捨てる勇気

ここまでモンベルの偉大さを説いてきましたが、それでも最後に一つだけ、避けて通れない問題に触れなければなりません。
それは、胸元に刺繍された「ロゴデザイン」の呪縛についてです。
「いけてなさ」の正体、その半分以上は、あの生真面目すぎるロゴデザインに起因していると言っても過言ではありません。
モンベルのロゴはあまりにも説明的すぎます。
デザインの世界では「説明」はしばしば「野暮」と同義になります。
「始祖鳥」にあって「M」にないもの
ここで、現在のアウトドアファッションの頂点に君臨する「アークテリクス」を見てみましょう。
彼らのロゴは「始祖鳥(アーケオプテリクス)の化石」です。一見すると、山とも服とも関係のない、骨の標本です。しかし、そこには「生物の進化」という抽象的なストーリーが込められています。
優れたロゴは「説明」をせず、「象徴」になります。
Appleのリンゴがかじられているように、スターバックスの人魚が年々シンプルになっていくように、洗練されたブランドは「引き算」によって神話性を獲得していきます。
今のモンベルのロゴは、「これはモンベルですよ! 美しい山ですよ!」と大声で叫んでいる状態です。
もし、モンベルが次の50年を見据え、あのロゴを抽象化し、極限までシンプルで記号的なデザインにリニューアルしたとしたらどうなるでしょうか?
その瞬間、世界最高峰の機能性はそのままに、唯一の弱点であった「野暮ったさ」が消滅します。「全身モンベル」はもはや「素人」の代名詞ではなく、ミニマリズムを体現する「ソフィスティケートされたスタイル」へと昇華されるはずです。
結論:ダサさは「悟り」だが、進化もまた真理
現状、モンベルを着るということは、他者からの承認欲求を捨て去り、実利を取る「悟り」の行為です。
「美人は三日で飽きるが、ゴアテックスの撥水はメンテナンス次第で一生続く」
この言葉は真実です。山で全身モンベルの登山者に出会ったら、彼らは人の目など気にせず、山と向き合う哲学者なのだと敬意を払うべきです。
しかし、もしモンベルがその哲学者のために、ほんの少しだけ「ロゴの魔法」をかけてくれたなら。
そのときこそ、モンベルは「神々の遊ぶ庭のユニクロ」から、名実ともに「世界のアウトドアのスタンダード」へと進化するのではないでしょうか。
私たちは待っています。あのMの字が、伝説のシンボルへと生まれ変わるその日を。
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