登山のすれ違いは「登り優先」? いいえ「安全優先」です

登山のすれ違いにおける「登り優先」は海外の峻険な岩稜帯に由来する、と私は認識しています。

下るほうが技術的に難しく、転倒・転落・滑落したり、落石を誘発したりして下の者を危険に巻き込みやすい。また、慎重に足を運ぶため時間がかかりやすい。だから、登る側に先に通過してもらうほうが安全であり、すれ違いの時間が短くなる。

日本では、

  • 「登る側のペースを優先する」
  • 「下る側が先に相手を発見して待機場所を選びやすい」

という文脈で語られることが多く、「安全優先」の根拠については後から付け足されがちです。

これは、日本特有の「譲り合い精神」と「山岳風土」に土着して、本来の意味目的が薄まり、変容した結果ではないでしょうか。

「登り優先」はあくまで原則であって、その根底には「安全優先」があります。どうしたら安全に判断し行動できるか事例をまじえて考察します。

「登り優先」をこじらせる

Twitterでこんな事例が投稿されていました。

女性グループ3人(投稿者)は、西穂高岳の直下にある急峻なスラブ帯を下ろうとしたとき、登ってきたオジサン2人と出くわした。「登り優先」なので譲ろうとしたところ、どちらでも良いと言われたので、先に下りた。恐怖のため時間がかかった。近くに来たとき「やっぱり先に登れば良かった」と言われて、もやもや(ムッと?)した。

オジサンがどんな口調で言ったのかわかりません。もしかすると「焦って下らせてしまい申し訳ない。先に登ったほうが良かったかな」という善意の言葉だったのかもしれません。見ず知らずの他人が非日常的な場面でとっさに交わす言葉が思わぬ誤解を生んでも仕方がありません。

こうした迷いや軋轢を避けるために、「譲り合い精神(だけ)ではなく技術論に拠って立つことをおすすめします。

登る側のペースよりも下る側の安全を優先する

「登り優先」の話題で必ず言及されるのが、「譲り合い精神に起因する葛藤です。

登る側の思考 「待たせているのが申し訳なくて、焦って登ると息が上がる。だから譲って、先に下ってもらおう」
下る側の思考 「焦って登らせると申し訳ない。ぎりぎりまで近づいてから待機しようか。それとも道の端っこをすり抜けようか」

なんとも日本的な気遣いが交錯する光景です。

待たせて申し訳ないと感じるのは、下る側も同じ。焦って駆け下りたり、道をショートカットしようとして転倒・転落・滑落したりしては元も子もありません。

これは岩稜帯に限った話ではなく、湿った岩がゴロゴロした樹林帯などにも当てはまります。北八ヶ岳が良い例。逍遥的、思索的なイメージとは裏腹に、岩稜歩きの練習に打ってつけの荒れ具合で、すれ違いに気を使います。

安全を優先するなら、登る側は申し訳なく思う必要はありませんし、下る側は「我が身を守るために毅然として譲る」くらいの心がけが必要です。

すれ違いの「山側」と「谷側」

「岳」のモデルになった実在の人物・宮田八郎さん著の「穂高小屋番レスキュー日記」で、すれ違い時に起きた事故の例が描かれています。

  • 1件目。場所は北アルプスの涸沢~穂高岳山荘間の通称「ザイテングラート」。下る側が谷側によけたところ、足を乗せた岩がそっくり抜けて200メートルほど転落して死亡した。
  • 2件目。場所は北穂高岳南稜。下る側が谷側によけたところ、足を踏み込んだ茂みの下は空中だったため100メートルほど転落して死亡した。

著者はこう警鐘を鳴らします。

登山道ですれ違うとき、下る人は谷側へよけてはいけません。下る人が山側へよけて、登る人に路肩に注意しながらすれ違ってもらうべきです。下りでバランスを失うと致命的な結果となるのです。

下る側は重力で勢いが増すうえに、手を前について止める動作ができないことを肝に銘じましょう。

登る側が譲る場合も、もちろん山側によけるのが原則です。

「登り優先」のパラドックスと「下り優先」のローカルルール

登る側と下る側のどちらも待機場所に十分なゆとりがあるなら、「登り優先」を適用するのが妥当です。

では、下る側の待機場所にゆとりがない場合は? 下る側はその旨を伝えて、先に下らせてもらうべきです。さもないと、狭い場所で無理にすれ違おうとして接触しバランスを崩し、事故につながりかねません。

また、渋滞している場所だけではなく、もっと広い視野で判断すべき場合があります。

槍ヶ岳が好例。登り専用ルートと下り専用ルートが分かれているものの、上部でしばらく合流するため、すれ違い渋滞が発生します。あそこで律義に「登り優先」を実行すると、どうなるでしょうか。

槍ヶ岳の狭い山頂に人が溢れかえり、危険な状態になりかねません。私はこれを「登り優先」のパラドックスと呼んでいます。槍ヶ岳の合流区間には「下り優先」のローカルルールがあってもよいくらいです。

大人数より少人数が優先

「安全優先」で判断しよう、と口で言うのは簡単です。実際には、登る側と下る側の主観がぶつかるため、割り切れない思いをする場面が多いでしょう。

が、定量的に判断できる場合がひとつあります。

「大人数より少人数が優先」

これは声を大にして強調したい。

単独行者と団体さんがすれ違う場合

下る単独行者と、登る50人の団体さんが鉢合わせしたとします。団体さんが「登り優先」のにしき御旗みはたをふりかざしてどんどん登っていくと、単独行者はずーーーーーーーっと待たなくてはなりません。

こういうときは団体さんが譲るほうが効率よくすれ違うことができます。団体さんのひとりひとりの待機時間はわずかです。山慣れたリーダーがいれば素早く指示をとばし譲ってくれるものですが……。

団体は道を譲ろうにも全員が適した場所を見つけにくい。単独行者のほうが待機しやすいのでは?
それはそう。団体登山はそもそも安全管理上の問題が生じやすいということだな。

単独行者が団体さんを追い越す場合

話は逸れますが、すれ違いではなく、単独行者が団体さんを追い越す場合に触れておきます。

経験上、追い越す場合には団体さんの最後尾の人が気づき、皆に指示して譲ってくれる確率が高いです。後ろにピッタリつかれると、迷惑をかけているという意識が強くなるからでしょう。

でも「道を開けてくださ~い。急行が通りま~す」なんて妙な号令はご勘弁を(言われた経験あり)。

追い越しのマナー」については別途、考察が必要でしょう。

複数の少人数グループがたまたま渋滞して団体を形づくっている場合は厄介です。自分たちが団体化しているという意識が薄いため、統制のとれた行動を期待できません。

「登り優先」原理主義者を駆逐せよ(まとめ)

「登り優先」はあくまで原則であって、その根底には「安全優先」があります。

なだらかな道でのすれ違いなら、登りが先か下りが先かなんて、正直な話どちらでも良い。「迷ったら登り優先」くらいに考えれば、お互いに余計な心理的エネルギーを費やさずにすみます。

高尾山(東京都にある世界でいちばん登山客が多い山)に出かければ、「登り優先」なんて知らない登山客ばかりです。いちいち気にしていられません。

その一方で、「登り優先」をご存知だけれど、それを杓子定規にふりかざす人から恫喝どうかつされて困惑したという事件が耳に入ります。今やそちらの弊害の方が深刻かもしれません。

「登り優先」だぞ!

そんなときは「山を舐めるなオジサン」と遭遇したときと同様、肩をすくめてやり過ごすしかありません。

カチンときて、どうしても物申したくなったら、こんな決まり文句テンプレはいかがでしょうか?

ちがいます。
「安全優先」です。

みんなで言い続ければ、頑迷な「登り優先」原理主義者を駆逐できるにちがいありません。

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