硬派登山漫画のおすすめ

硬派な登山(山岳)漫画をレビューします。

Wikipediaでは「山岳漫画の金字塔」とまで書かれている「岳人列伝」はもちろん、軟派のように見えて実に考証が行き届いた「山と食欲と私」まで取り上げます。

村上もとか「岳人列伝」

Wikipediaでは「山岳漫画の金字塔」とまで書かれています。

私がいちばん好きなのは第2話の「裸足の壁」。シェルパの少年が大人になるため「勇者の壁」に挑みます。予想外の氷にはばまれ、登攀用具が尽き、オーバーハングをフリーソロで越えていく少年の運命やいかに。恋愛模様とからめた構成が見事です。最後は少年といっしょに「ラァーリィーーッ!」と叫びたくなるにちがいありません。

この物語は青少年の心をいたく揺さぶるらしく、下宿が同じだったワンダーフォーゲル部の先輩がそのへんに転がっていた細引きをたずさえて、いそいそと裏山の岩場に出かけるようになりました。

もちろん自分も例外ではありません。同じ岩場でちっぽけなフリーソロを敢行して悦に入りました。後年、谷川岳でもっと派手な冒険をやらかして、シェルパの少年の心理を切実に味わいました。そのことはいずれまた書くかもしれません。

塀内夏子「イカロスの山」

全10巻。運よく「Kindle Unlimited 読み放題」で読めました。

冒頭からお馴染みの「ザイルを切る切らない葛藤」が勃発し、ザイルパートナーは恋敵?で、15座目の八千メートル峰が発見されるという息もつかせぬメロドラマチックな展開にニヤニヤが止まりません。

はじめは斜に構えていたのですが、トモ・チェセンの疑惑の登攀をモデルとしたらしい登山家が登場したり、ラインホルト・メスナーのナンガパルバットのように登路がごっそり雪崩れ落ちて同じルートから下山できなくなったり、山野井泰史さん・妙子さん夫妻のギャチュン・カンを彷彿とさせる脱出劇があったり、いつしか夢中になっていました。冒頭の「ザイルを切る切らない葛藤」が実は重要な伏線となっています。作者は最初からそのつもりだったのでしょうか。

時代設定は21世紀ながら、なぜか一部の装備が古めかしい感じがします。そのヘッドランプは豆電球タイプ? そのザックは1970年代のデザイン? 「北壁」を登るピッケルが縦走用だったり、あるコマでは登攀用だったり、複数使い分けたのか? などと考証するのが楽しい。なかでもぜひ詳細を知りたいのが画期的なツェルト。登場人物のコメントによれば「なかなかすごいツェルトだぞ、これ……三浦さん特製の。テントとほとんど変わらん」「遠征が終わったら三浦さん大もうけだな。モニター料もらわんと」。どんな構造・素材なのか興味津々です。

神田 たけ志「氷壁の達人」

全3巻。運よく「Kindle Unlimited 読み放題」で読めました。

実在の人物、山学同志会を率いた小西政継さんの「凍てる岩肌に魅せられて」(毎日新聞社,1971年)を下敷きにしたとされています。私は同氏の全著作のうち、たまたまこれだけ読んでいません。どこまで原作を忠実になぞっているのかわかりません。

第1巻で、長谷川恒夫さん森田勝さんを足して二で割ったような名前と風貌の森川というクライマーが登場し、谷川岳・滝沢第3スラブ冬季初登を目指します。「戦中派」という設定は実在の人物と乖離しており、描き手がかなり想像(と創造)を膨らませたと思われます。谷川岳の遭難者を回収する「サルベージ屋」の鬼気迫る様もどこまで実話に基づいているのやら、「凍てる岩肌に魅せられて」を読みたくなりました。

こんな渋い漫画を描く作者はどんな方なのでしょうか。ご自分でどれくらい登山や岩登りをされるのでしょうか。第1巻で小西が初めて谷川岳を登攀するとき、オープンハンド気味に岩をつかむコマがあるのですが、小指だけ反らし気味になっているリアルな筆致を見たとき、思わず「うわ、この作者ガチや」と思いました。

余談ながら、第1話の扉でくわえ煙草で岩壁にもたれる主人公の絵は、山学同志会の後輩・小川信之さんの写真をモデルにしています。「ボクのザイル仲間たち」という本で見たことがあり、すぐに気づきました。

信濃川日出雄「山と食欲と私」

現在進行形。5巻まで「Kindle Unlimited 読み放題」で読めました。

1話ないし数話で読み切りの短編集なので、どこから読んでも良い。

第1巻だけマニアックにレビューしたことがあります。

『山と食欲と私』第1巻をマニアックに読む
『山と食欲と私』という漫画があることは知っていましたが、これまで秒速でスルーしてきました。まず「部屋とTシャツと私」的な、いかにも狙った風のタイトルが拒絶反応を誘うではありませんか。古い登山愛好家にとっては、自動的に「ランドネ」誌と同じ格付けになります。すなわち「マニアックな男子にはあまり読むところがないにちがいない」と。

私が愛用するスノーピークのギガパワーストーブ「地」(しかも旧型)を主人公の日々野鮎美が使っていることに気づき、とたんに親近感をおぼえました。鮎美は一時期、イワタニプリムスの「115フェムトストーブ」に浮気したものの、その後また「地」に戻ったりして、目を離せません。

ことほどさように山岳漫画を読むと登場人物が使っている装備のメーカーやモデルが気になって仕方がありません。この漫画は背景や道具が丁寧に描かれており、マニアの目を楽しませてくれます。

空木 哲生「山を渡る」

絵柄からチャラい(失礼!)内容を予想していました。が、良い意味で裏切られました。大学ワンダーフォーゲル部出身者にとって、あるあるネタが多く、懐かしさに思わずウルウル?しました。

自分が山登りに引き込まれたときのことを思い出します。新入生歓迎の立食パーティーで、先輩から「ワンゲルと言うのはね、湖畔にテントを張って、星を見ながら語らい……」なんて美辞麗句を聞かされて、のこのこ出かけて行ったらそこは狂乱の宴で、さぁいよいよ「練習」が始まれば、高校時代に帰宅部だった自分にとって非情で過酷な、坂道のランニング、神社の長い階段でダッシュ、人間歩荷、腕立て腹筋。口中に血の味を知る日々が始まりました。

ワンゲル野郎、奮闘す~登山のトレーニング
「登山自体が登山の最も良いトレーニングである」とはよく言われる真理です。日常的にどうトレーニングの時間を捻出するか、どうトレーニングするかを悩むよりも、そのエネルギーを一日でも多く実際の登山に出かけることに振り向けたほうが得策です。

アナログでアバウトな学生生活。携帯電話なんぞ存在しない時代。部員同士がどういう方法で急な用事を伝え合ったのか今となっては不思議です。相手の下宿を訪ねて、もし本人がいなければ他の部屋の住人(同じ大学の学生)に伝言を頼んで帰った記憶があります。明治大正のブンガクに出てくるような悠長な時間が流れていました。

この漫画はそんな原初体験?を思い起こす呼び水となってくれます。ワンゲルや山岳部出身者でない読者なら純粋に未知の世界を覗き込む愉しみをおぼえるでしょう。

ギアマニアとしては、第11話の装備点検で初期モデルのEPIガスストーブ、いやそれどころか灯油ストーブが現役装備として登場するのが感涙ものです。

三多摩大学にモデルはあるのでしょうか。第8話で「私たちのホームマウンテン」丹沢(ヤビツ峠から表尾根縦走)に出かけるとき、「三多摩大学からだと電車とバスで2時間くらいで登山口に取り付くことができます」とキャプションあり。大学のそばに多摩川が流れており、部員たちはカモシカスポーツ高田馬場店らしい登山用品店(特徴的な外階段!)に足繁く通っています。


その後、第5巻で三多摩大学の場所がよくわかる描写が登場します。第24話の歩荷訓練で「生田緑地」を通って「枡形山」に登ります。第26話の夏合宿で「登戸駅」から出発します。最寄り駅は確定です。

石塚真一「岳」

あまりにもメジャーになって、右も左も「岳」一色。映画化までされたこと(小栗旬が主演という時点でorzを誘う)や、物語設定からして美談のオンパレードになりかねないことへの反発心から、いまだに全巻読破してやろうという意欲がおきません。全巻読んでいないので、正当な評価はできません。

「岳」のモデルになった実在の人物・宮田八郎さんの「穂高小屋番レスキュー日記」こそ、ぜひ読んでほしい。独自の視点から山岳遭難とレスキューが語られています。この本を読む前と読んだ後では山岳遭難、そして山小屋についての見方が変わるはずです。

坂本眞一「孤高の人」

新田次郎の不朽の名作岳人必読の書孤高の人」と同じタイトルですが、内容はまったく別物です。まったく別物なのにあえて原作をリスペクトする思いを込めることが悪いとは思いませんが、インターネットで「孤高の人」を調べると、検索結果にこの漫画がずらりと並びます。混乱して困ります。

「岳」とは別の意味で全巻読破しようという意欲が湧きにくい。どっぷりハマるのが怖い。雑誌連載時に一部を読んだだけですが、内容が重そうだな~しんどそうだな~という先入観があります。いや実際、重くてしんどいにちがいない。読後の爽快感は期待できそうにありません。

とても「おすすめ」する資格はありませんが、いつか読破したいナンバーワンです。「Kindle Unlimited 読み放題」に登場することを期待します。

夢枕獏/谷口ジロー「神々の山嶺」

1997年9月。東京から夜駆けして、カサメリ沢の林道終点にゴアライトテント設営。降りしきる雨を聴きながら、ランタンの灯りで夢枕獏の原作を読み耽りました。翌日のクライミングは冴えない内容でしたが、この物語に感銘を受けたことは鮮明におぼえています。

2000年~2003年、漫画が雑誌に連載された頃、私はすっかり登山から足を洗って(?)、フリークライミングに熱中していました。「へぇ~、漫画化されたんだ」くらいに横目で眺めていました。

2021年にフランスで? 映画化…というかアニメ化? 絵の雰囲気はAR(拡張現実)風? というシュールな展開に戸惑い、活字で読んだときのイメージを崩したくないというコダワリから静観していました。

2022年8月1日、漫画5巻を一日で読破し、イメージを崩す云々の心配は杞憂に終わりました。ネパールやヒマラヤに実際に行ったことがない者にとって、現地の風物や人物の風貌がしっかり描きこまれているおかげで、物語の伏線や葛藤に集中しやすく、感情移入しやすかったです。

冒頭の古いカメラの盗難や、謎の登山家の出没など、活字版ではいささか取って付けたような印象を受けたものです。「いかにも娯楽小説の騎手らしい手慣れた筆致だな」と。しかし、漫画版を読み終わってみると、

  • マロリーのエベレスト登頂の謎
  • 羽生丈二が執念を燃やす冬季エベレスト南西壁登攀
  • 主人公・深町誠自身の人生

という3本の糸を撚り合わせ、動機と行動を説明する完璧な場面であったことを今更ながら知りました。

羽生丈二のモデルは森田勝さんだと言われています。夢枕獏自身がそれに言及しているかどうか不明ですが、日本の登山史を知っている人なら、他に考えようがありません。「羽生」という苗字が、羽生善治さん(1996年に将棋界の7冠を独占した)からとられたことも間違いないでしょう。読み方は「はぶ」。最近ではフィギュアスケートの羽生結弦(はにゅうゆずる)さんのほうが脚光を浴びているかもしれませんが、間違えないように。「はぶ」は毒蛇のハブを連想させ、羽生丈二のネパールでのあだ名「ビカール・サン(毒蛇)」につながります。深町が執筆した「山伝」のタイトルは、佐瀬稔が森田勝の生涯を描いた「は帰らず」から一文字をとったと思われます。

羽生丈二の人物描写で印象に残るフレーズは「獣臭」です。これは体臭が鼻をつくことを意味しません。極限を志す人が放つオーラをたとえています。そんな人を私は現実世界で知っています。不世出のクライマー吉田和正さん(2019年病没)のことを思い出さずにはいられません。一年中、車で生活し、クライミングの講習会で資金を稼ぎながら、未踏ルートにトライし続ける人。そんな生活が現代の日本で可能なのだ。私は知己を得て、いっしょにクライミングエリアで過ごし、彼をビレイしたことがあります。山奥のボルダーを探っているとき、ふと木の枝を踏む音。すわクマかと思いきや彼の人が姿を現す。その瞳は野生動物のように澄み、そして羽生丈二のように世間への不満と怒りを秘めているように見えました……。

ヒマラヤという乾いた岩と雪と氷の世界にあっても日本特有の湿った「孤高の人」の系譜。はたして欧米の人にはどう伝わるのでしょうか。

漫画版が気に入った人は、ぜひ小説版も読んでください。そして、新田次郎の「孤高の人」も読んでください。

羽生丈二はヒマラヤ版の加藤文太郎です。

まとめ

この記事は新しい山岳漫画を読んだら、追記していきます。

Tips

コメント

  1. けい より:

    5年前の記事にコメントするのもどうかと思いましたが、どうしても納得いかないのでやっぱりコメントさせて頂きます。

    このラインナップで神々の山巓が載ってないのはいかがなものでしょうか?
    知らない訳ではないでしょうから、何かしらの意図があってのことなのかもしれませんが、どうみてもおかしいです。

    • kamiyama kamiyama より:

      けい さん、コメントありがとうございます。
      「神々の山巓」、夢枕獏の原作(ハードカバー2巻!)を読んで感銘を受けたので「自分のなかのイメージを崩したくない」という気持ちがどこかしらにあって未読です。私が山岳から足を洗ってフリークライミングに熱中していた時期に雑誌に連載されていたことは記憶にあります。映画化もされたことですし、この機会に読むつもりです。