超人ラインホルト・メスナーはミニマリストだった

ウルトラライトとミニマリストのちがい

登山やクライミングの世界で「ウルトラライト」で固めた装備が流行し始めた時期と、ライフスタイルとして「ミニマリスト」が流行し始めた時期はクロスオーバーしているように思います。

厳密にどちらがいつ始まったかという統計的な数字は確認できません。(Googleあたりはインターネットを飛び交う検索キーワードの統計をもっているかも……)

軽量コンパクトさを追求した登山用具の商品名に「ウルトラライト」を冠する事例は昔からありました。私がおぼえている範囲では、1980初頭にモンベルが発売した「ウルトラライトツェルト」があります。装備は軽量コンパクトなほうがいいに決まっていますが、耐久性や利便性とトレードオフの関係にあるため、それは装備リストの一部に限定されていました。

そもそも「ウルトラライト」を冠する製品の数が絶対的に少なかったのです。現在のようにあれもこれもウルトラライト化し、ややもするとウルトラライトで固めた装備で活動すること自体が目的化する本末顛倒な状況はありませんでした。

「ミニマリスト」を冠する登山用具が出てきたのは比較的最近(2000年代以降)だと記憶しています。単に流行語をマーケティングに取り入れただけなのか、確固とした思想がこめられているのかは不明です。

ミニマリスト」(あるいは「ミニマリズム」)は「ウルトラライト」とは似て非なる言葉です。そこには「trade-off」(軽量コンパクトさと引き換えに、耐久性や利便性を犠牲にする)というよりは、「Less is more」(より少ないことは、より豊かなことである)の思想があります。

ラインホルト・メスナーのスタイル

超人ラインホルト・メスナーの「ナンガ・パルバート単独行」(1979年)には、現代の「ミニマリズム」に通じる言説があふれています。昔、初読した時に妙に印象に残り、近年流行した「ミニマリスト」から即座に連想した一節を引用します。

重さが増えれば時間がかかる。歩度がはかどらないからだ。足が進まなければ、それだけ時間が長引いて、よけいな食糧を持っていかなければならない。もし二十日間を要するとなれば絶対に登れないだろう。二十日間かければ三十キロの荷物を担ぐことになる。そんなにたくさん運び上げるとなれば、二十日間では足りずに三十日かかることになりかねない。このような高い山では十五キロあたりがぼくの限界だ。

(「ナンガ・パルバート単独行/ラインホルト・メスナー」単行本p.137)

ここには「Less is more」の思想を見て取ることができます。荷物が少ないほうが有利だと言っているのです。登山やクライミングにおけるミニマリズムの元祖と呼んでもいいかもしれません。

再読してみて、荷物の重量が「十五キロ」と書かれているのは意外でした。先ごろ、私が冬の八ヶ岳に担いで行った一泊二日の荷物がちょうど15kgくらいだったのです。

ぼくは懐中電灯も持たずに出掛けてきた。本当に必要なものだけを携行したのだ。ピッケルとシュタイクアイゼンのほかに長さがわずか一メートルのザイルを持ってきた。これがあれば、いざというとき岩壁に自分を結びつけて確保することができる。そのほか幾つかの小物、高度計とかサングラスとか、それにアイスシュラウベと岩用ハーケンを一本ずつ持っていた。食糧とガスは十日分。炊事するというのはとても大事なことなのだ。それから一キロを少し越える重さのテント、軽い羽毛が詰まった寝袋。

「炊事」とあるように、当然ながらガスバーナーやコッフェルが含まれています。そんな重量を担いで、ヒマラヤの高所をアルパイン・スタイルで登ったのですね。

日本の雪山を縦走する古い登山愛好家は、このメスナーのスタイルに強い影響を受けたのではないでしょうか。

トモ・チェセンのスタイル

疑惑の登攀として有名になったトモ・チェセンの「ローツェ南壁」(1990年)では、よりミニマリズムに徹したスタイルを見ることができます。

携行するものは寝袋にビヴァーク・ザック、ピッケル二本、アイゼン、必要不可欠なヘルメット、ハーネス、岩と氷用のピトン、手袋と靴下とゴーグルのスペア、カメラ、無線機、六ミリザイル一〇〇メートル、特製のクライミング・ウェア。食糧としてはチーズ、チョコレート、ぶどう糖、チーズ・ケーキ、ふつうのビスケットとドライ・フルーツ入りのビスケット。飲み物は三リットルのコーヒー。

(「孤独の山 ローツェ南壁単独登攀への軌跡/トモ・チェセン」p.112)

「ビヴァーク・ザック」とは岩壁用のツェルトでしょうか。注目すべきは、「炊事」にかかわる装備が見当たらないことです。「三リットルのコーヒー」はテルモスのような魔法瓶に入れて携行したのでしょうか。この文章だけではよくわかりません。

岩と雪142号(1990年10月)でエリザベス・ホウリー氏が“各1㍑の飲物をつめたテルモス三本で、炊事用具は持たなかった。”と書いています。

ウーリー・シュテックのスタイル

時代は一気に飛んで、2017年春にヌプツェで帰らぬ人となったウーリー・シュテックの装備は「ぶっ飛んでいる」と表現したくなるほどミニマリズムに徹しています。

-今回、マウンテンハードウェアのベースウェアとアウターをお持ちですが、これはどんなときに使うのですか。
8000m峰も、このウェアで90%行けますよ。これにダウンジャケットを加えてもいいかもしれませんね。
-この2枚だけですか? アンナプルナは?
アンナのときも、この2枚だけです。数年前のウェアなので、これとまったく同じではありませんが。
-ビバークジャケットなどは持っていかなかったのですか。
持っていきませんでした。
-緊急時にはどうするつもりでした?
緊急時なんてありませんよ。ライトウエイトで行こうとしたら、ライトウエイトに徹するしかないのです。妥協はありません。テルモスも持たず、このウエアの下に普通のボトルを入れていきました。
-これだけでは、アルプスを登るようなウエアですよね?
動いていればそれほど寒くありませんよ。ただし、動き続けなければいけない。

(ROCK&SNOW 071号「現代クライミングの到達点 Interview Ueli Steck」)

30時間くらい動き続ける体力があれば、ビバーク装備は必要なく、水分は体温で保温すればよい。結果的に、驚異的な短時間での登攀記録を達成できるというわけです。

Ueli Steck – The Swiss Machine

連綿と続く「ウルトラライト」と「ミニマリスト」の系譜。「trade-off」と「Less is more」という視点を導入すると、見え方が変わってくるかもしれません。

※ 2017/9/23の記事にエリザベス・ホウリー氏の言及を追記しました。

四方山話
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